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人生のレールを外れる衝動の見つけ方【読書感想】

”衝動”で選ぶ人生

安定した人生を捨て、破天荒に自身の好きなように生きている人には不思議な魅力がある。

例えば吉田松陰。黒船が来た時、こっそり乗り込んで、船上のアメリカ人らに直談判して米国への密航を申し入れた。却下されたが、吉田松陰は当時、武家の次男ではあるものの勉学の能力を評価され、安定した生活を送ることも可能であったはずだ。だが、彼は自身の衝動に従う人生を選んだのだろう。その後も欧米や新しいものへの興味を持ち続け、探す人生を選んだ。


出典:日本食文化の醤油を知る

本書では、「チ。-地球の運動について-」という作品を引き合いに出している。主人公は安定した道が用意されていたにも関わらず、使命感とでもいうべき感情だけでなく自分の欲望を基に、天動説が主流だった時代に”地動説”を研究してしまう。


チ。-地球の運動について-

衝動≠本当にやりたいこと

前項では衝動を格好いいものかのように扱ったが、衝動にはネガティブなこともある。

例えば、ついカッとなって口論相手を殴ってしまった──。こんな風に一時の激情に身を任せることは人生にとって望ましいことではない。

そもそも、衝動というと「感情の激しさに注目されがちだが、本当に大事なのはその深さだ」と本書の谷川氏は説明する。なぜ感情の激しさに目をつけてはいけないのか。それは多くの激情はその後雲散霧消してしまうからだ。

ゲームやデザート、カードなど、若い時に欲しくてたまらなかったものは無いだろうか?その多くは、あなたが大人になった現在では名前すら忘れている。

「欲望の見つけ方」という本を書いたルーク・バージスは「表面から見えないほど奥深く」から生まれて自分を突き動かす欲求を「深い欲求」と呼んでいる。バージスによれば、深い欲望は他人を起点に抱かれる欲望ではない。流行や世間の「正解」を気にする「他人指向型」の欲求は、自分の中に原動力を持たないことから深い欲望足得ない。

では、チ。の主人公や吉田松陰のような”衝動”はどんなものなのか。衝動という曖昧で捉えどころのないものを捉えようとする時、役立つのが「否定神学」のアプローチだ。

否定神学とは、キリスト教神学において、神を論ずる際に使われた方法論の一つ。神の本質は人間が思惟しうるいかなる概念にも当てはまらない、すなわち一切の述語を超えたものであるとして、「神は~でない」と否定表現でのみ神を語ろうと試みる手法。
例:(神は)万物の原因であって万物を超えているものは、身体をもたず、姿ももたず、形ももたず、質ももたず、量ももたない。

Wikipediaより

本書では衝動を以下のように否定している。

衝動≠将来の夢、衝動≠本当にやりたいこと

衝動は「将来の夢」「本当にやりたいこと」を突き抜けてもっと熱中へといざなってくれるものだ。

部分的に意味合いが被るところがあるかもしれない。しかし、こういう”バズワード”的な言葉に惑わされてはいけない。私たちはこれらの人生を生きる過程で、さまざまなプロパガンダや広告、教育などでこうした言葉のシャワーを受けている。

学校医で言わされる”将来の夢”には”世間的な正解”があったはずだ。職業であったり、前向きなものでないと発表できなかったり。筆者は”将来の夢は大きな犬と寝そべることです!”と言ったら「そうじゃない」と先生に言われたそうだ。

「本当にやりたいこと」は、周囲に左右されず、自分のうちから湧き出る願望しか認めない。たいていの人は産まれてこの方、好みも行動も変化してきた。それをわざわざ”本当に”などという重たい言葉で包むと、却って固定的な発想になる。

こうしたバズワード的な言葉は”衝動”という言葉と実は相性が悪いのだ。

衝動はモチベーションともやや異なる。モチベーションの世界では「内発的動機づけ」という言葉があり、確かにこれは他人に依存しない欲求だ。しかし、「楽しいから走る」とか「面白い映画を観る」「好きなポテチを食べる」といったレベルも内発的動機づけに含んでしまう。流石にこうした欲求と衝動を同列に扱うのは違和感があるはずだし、迂遠だ。

チ。の主人公はこうした仰々しい言葉を使わずに、ひたすらに天文学を学ぶ。幸いなことに、まともな民主主義国家であれば、衝動に身を任せても破滅の道を歩むとは限らない。

つまるところ、深い欲望はわかりにくく、見えにくく、補足しづらい。進路選択、就職活動などで悩んだことがある人もいるだろう。

衝動は具体的な偏愛であり、偏愛の解釈の先に衝動が見えてくる

ハーバード大の研究で、型破りな人を研究した「ダークホースプロジェクト」というのがある。標準的なレールを外れた人を研究しており、参考になりそうだ。

ダークホースプロジェクトの研究者であるローズとオーガスは、自分の"micro motivation"にフォーカスすることが大切だと指摘する。直訳すると「小さなモチベーション」だが、ローズとオーガスが抽象的な意欲や嗜好を否定していることから、谷川氏はこれを”偏愛(かたよって愛すること)”と訳す。偏愛こそ、深い欲望(衝動)につながっていくという。つまり、環境に左右されないほど、「個人的」であり、「細分化」された欲望なのだといいう。

例えばダークホースプロジェクトにて、生物を見分けて分類することが大好きだったジャマリロという人物は、当初は虫を中心にしており、大学院で蟻を分類していた。しかし、フィールドワークに行った時に鳥に惹かれ、自分は実際には「よく動き、見つけにくく、より色鮮やかなものほど見つけて分類することが好きなのだ」と気付き、対象を鳥に切り替えたのだという。現在は野鳥観察ツアーの会社を運営しているそうだ。

アリを見分けるべきなのに鳥を目で追ってしまう」こうした自分の偏愛の経験を適切に解釈したことで、自身のキャリアを変えられたわけだ。本書はこのエピソードから、「偏愛は、衝動が具体的な活動の形をとった時の意欲」だと規定している。

何かを言語化するときは、「細かく」「詳しく」語るべきだ。「鳥が好き」ではまだ甘い。また、「自分らしく生きたい」とかもっともらしい結論に帰結させがちなので、それに注意。

アンテナを高め、セルフインタビューをしよう

ではどうすれば衝動を捉えられるかというと本書では「セルフインタビュー」と「感受性を高める」ことを一つの方法として提示されている。

前者はリラックスした場所で、自分に問いかけていくことだ。
漫画家の香山哲さんは、マンガを作る前に喫茶店などで、時に5日ほどの休暇を挟みながら、自分に様々な問いかけをしてからスタートするのだそうだ。

「あと何年くらい製作して、どんなものを作りたいですか?」
「1日をどんな風に過ごしたいですか?いろんなパターンがあるので5パターンくらい教えてください」「理想の製作が完成した時の気持ちを表現して、いろんなパターンで答えてください」「もし1000万と3年間が与えられたらなにがしたいですか?」「日頃どんな人と、どんな風に交流したいですか?」

などなど。こうした複数の視点での質問はとても役に立つという。
大事なのは、ここでもっともらしい答えや、こうあるべきだとか考えないようにしながら考えることだ

そうは言っても私たちの多くは自分探しが得意ではないだろう。結論から言うと、心を広げ、何でもかんでも試してみることをお勧めする。家族をラーメンに誘う、草花に触れてみるなど。「感性は生まれつきのものだ」と決めつけずに、実験して、楽しむ努力をしてみる。そうした姿勢が、自分の小さな偏愛を見つけてくれるはずだ。

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