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6月19日その後


先の通り、俺の生活は
昨年の6月19日を境に人生ごと一変した。

彼女とのパンク過ぎる形での
突然のお別れ。

その後、各種の手続きを終え
俺はその時の記憶がないんだけど
何人かに電話をしていた「らしい」


ご家族は勿論の事、
まず彼女が一番の信頼を置いていた仲間達、
つまりバンドのメンバー達に連絡をした。

何をどう話したか覚えてないが
その報を受けた一人は
「聞いた事もない、感情がない声で説明してて。冷静過ぎて怖いと感じるくらいでしたよ」と後に語っていた。

マジで…覚えておりません!
すみませんでした!
説明責任?意地?
どういう心理だったんだろう。

かたや
地元の同い年の友達のミュージシャンと
そして当時は彼女の職場の上司であり
俺の大切な友人、
今現在、俺が働いてる池袋のバーのボスには

二人にはワンワン泣いて
電話をしていたそうだ。

泣いて電話とか自分でも想像つかない。
もはやスクリーモ(Screamo)の新しい形。
※音楽ジャンルの一つ
ガチでシュールなShe Burns…。


しかし前述の、
感情のない声の電話とは一転、
泣き叫ぶなんて
この違いは何なんだろう。
心理的なそれ。助けての気持ちに近いのかな。本能のどこか。
きっと防衛本能の一つなんだろうけど
人間は強烈なショックに見舞われると
記憶を失う…。
これはガチでしたーーーー!
人体の不思議。

いやー夜中に同年代とはいえ、
おっさんの泣き声も報告内容も
聞くのきついよね。
その節は本当にありがとう🙏
みんな本当にありがとう。

朝になり
家に戻ってみても眠気は来ない。
食欲もまったくない。

というか、そこから数日は記憶がほぼない。
いかに自分の考える「死」というものが
何となくだったか。薄っぺらかったか。
見送る死、いきなりつきつけられる死の違い。
打ちひしがれるって正にこれ。 




1番辛かったのは
部屋に残された彼女の遺品。
死んだら終わり、ただ会えなくなった
連絡取れなくなったって訳ではない
俺達は日々を共に生きていた。
丸3年、ほとんど何をするにも一緒だった。

生活を共にしていたから
そういう残された物の存在一つ一つが
「彼女は死んだんだよ。お前が殺したんだよ
」と意地悪に語ってくるようだった

どれくらい時間が経ったろう、夜も昼もない
真っ暗で罪悪感と虚無しかない世界。
ずーーーっと底にいた。

連絡は方々から死ぬほど来ていたが、
気力も体力も返す量にも限界があった。
それほどに多くの人を震撼させたんだろう。
「突然亡くなる」とはそういう事だ。

俺は人が居なくなるとはこういう事なのか、と
後悔で覆い尽くされた頭の中で
ぼんやりと感じていた。

そんな中でも覚えてるのは
後輩が差し入れを持って来てくれて
ウィダーインゼリーを一つ食べた事。
ファミマのコーヒー。
そして素麺2口。
数日間で口に出来たのはそれだけ。
どうやらお腹が減るという感覚ごと
吹き飛んでたらしい。
体重は7キロくらい減っていた

近親者のみで行なわれた葬式。
雲の多い空だった。

火葬場で骨を、俺と彼女の長年の相棒であった、愛すべきロン毛メガネギターとで彼女の骨を人欠片ずつ食べた。

「俺も食べていいですか?」って
あの時の光景。
言いようのない彼の優しさ溢れる画を
俺は一生忘れない。ありがとう◎

ご家族の一部の人は多分…
ドン引きしてたけどね、すみません🙏

とは言っても、その行為に
何の意味があったかはわからない。
ただ俺にとってはどんな姿になっても
大切な人だ。
彼女の存在を宿したいって感じだったのかな。
だから食べた。

骨の味が気になる?
確かに人の骨を食べたのは生まれて初めてだった。

例えるなら
「カルボーン」てお菓子が
昔あったんだけど甘くないそれ。
つまりはカルシウム質の、硬いというか何というか。仄かに砂っぽい舌触りのあるものだった。味はない。想像にお任せするし、想像した通りだと思う。

こうして俺達は葬儀を終え、皆それぞれがそれぞれの場所に戻って行った。

この時点で俺はまだ精神安定剤も何も飲んでなかった。

哀しさに抗い、忙しさや何やらで考える暇もなかったのかもしれない。彼女の死をきちんと受け止め、見送ろう。その思いは確かだったしね

だが、葬儀を終えた後。
ここからが俺にとって地獄の始まりだった。
彼女がいなくなったという孤独を
そこかしこで痛感していく日々の始まり。

そう、気がついたら俺は
ホームの向かい 路地裏の窓
ありとあらゆる場所で彼女の面影を探し
ワンモアタイムを願う、狂人・山崎まさよしモードになっていったんだ。

いかに俺が妖怪化していくか、その辺はまた次回で。

今日も徒然と。
ご一読多謝。






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