水曜日の夜に。餃子とチューハイで幸せを感じた子なし36歳のひとりごと。
若い子がお店にやってきた。
発言がいちいち明るくて、眩しい。
どうも。
ざらめ煎餅のおいしさに目覚めて。です。
発言だけはカッコイくて、中身が伴わないところも若気の至りなんじゃないかと思うほど。
その子は体が弱く、健康になるためならなんでもやってみたい!という子だった。
自分の体が弱いことをどうにかしたいと前向きになれるのも、
若さゆえのエネルギー量が多いからなのではないか?と最近思う。
私はこれが好き。
私はこうしたい!
俺はこう思う。など、
自分を正しく主張することのできる人はカッコイイなーと思う。
右にヨレヨレ、左にヨレヨレ。
ざらめは、周りに影響されやすいので、常に『これでいいの?』『自分を見失っているな~』って思いながら生活しています。
とあるYouTubeでおすすめしていたので探していた本が一冊。
益田ミリさんの『すーちゃん』という本です。
読み終わったあと、素直にいい本だな〜と思いまして胸が熱くなりました。
熱が冷めないうちに、直ぐに繰り返し読みたくなって2回読みました。やっぱり嬉しくて、『読書メーター』というアプリで他の人の感想も知りたくなりまして。3日間は楽しめました。
自分探しをする、というのは
時として深みにはまりますし、
向き合いたくない何かから逃げてることにも捉えかねない部分があります。
また、夫曰く『自分に酔ってるの?』と思わずにはいられないこともあるようだ。
私は高校の頃、壁新聞が好きで学校祭では専ら文章を書く専門だった。
トップ記事、セカンド記事、サード記事がある中で、わたしはトップ記事に『自分探しの旅』について書いてみたくてたまらなかった。
そこでわたしは、柄にもなく壁新聞リーダーに立候補してそれについて熱く語った。
それが他のクラスの友達にも目がとまり、
『ざらめちゃんの書く文章は1人だけ視点が違ってた』といわれた。
そう、確か私は『大人には夢が無いんじゃないか?』みたいなことを書いた記憶がある。なんだかとても偉そうな高校生だったと思う。
でも、私の周りにいた大人達はいつもセカセカしていたし、怒っていたし、つまらなさそうだったから
大人になって、自由になりたい希望はあったけど
そんな大人になりたくなかったっけな〜
でも、そんな高校生の呟きが校内で大賞をとった時は心から嬉しかった。
つまらない世界の中で、なんだか自分の主張が受け入れられ認められた気がして。他の人よりも秀でた何かがあることが嬉しかった。
『何か』はわからないままだったけど。
そんな私が大人と呼ばれる36歳になって思うことは
大人って全然大人じゃないなーってこと。ただ、舐められないようにしているだけ。そういうの、たまにすごく面倒くさいな、って思う時がある。
怒っているし、つまらない顔してるし、話長いし、愚痴ばっかりだし。
でも、守りたいものがあるし、今より良くなりたい希望だってある。
違う世界が見えたとしたら
大好きな人が隣りでイビキをかいて寝ているだけで幸せだし
夜ごはんが煮込みラーメンだった時も簡単で野菜もお肉も摂れて幸せ。
面倒くさい面倒くさいいいながらも茶碗洗いが終わって、テーブルの四隅を拭いてみかんを食べていると、なんとも言えない充実感を感じていたりもする。
36歳になって思うこと。
18歳の私は、大人の日常に散りばめられた楽しさの引き出しをまだ知らずにいてそんな大人の世界観を『わかったつもり』になっていました。
小さな小さな世界がすべてだった。
自分一人で生きていく覚悟も自信もなかったのにね。ホント、面白い。
これからも変わり続けたいし、そのままでいたい。
そんな矛盾を抱えながら今日もセコセコと働きにでかけて、大きく変わることのないであろう生活に好きなものをたくさん追加して生きているのでした。
※写真は、久しぶりに包んだ手作りの餃子。
個人的には味の素の冷凍餃子が手軽で便利で大好きなのですが、夫が手作り餃子派。肉肉しいタネが好みのようです。ひき肉にエノキと味噌を入れたり、キャベツや白菜の代わりに長ネギと豚ひき肉だけのシンプルなものを作ってみたり。バリエーションが豊富で楽しいですよね。