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『列仙酒牌』任渭長<ジン イチョウ>

最近、中国の古い版画を見ている時間が増えてきている感じがする。
新聞をみても「自分のブログにでも書いておけ」といった程度の記事が多くなっているし、TVときたら「オオタニさーん」とアホ芸人だらけ、net を回ってみても同質の意見が出てくるだけ。とても心が息まることがない。
いまさら長大な巨編に挑戦しようという気も無くなっているので、つい古い版画を眺めしまう。

中国の版画などと言ってもほとんど馴染みがないだろうが、歴史の教科書の隅っこに載っていたようなあまり上手ではない挿絵を思い出してもらえれば幸いである。
あのような絵は中国の物語本の挿絵からとってきているが、本の挿絵の分野では、正直日本の方が上、なんと言っても葛飾北斎がいるというのは大きい。
中国でももう少しマシな感じのものは、詩や詞の本で使われたものがある。ほとんどが風景を描いているが、今の西洋風の絵画を見慣れた目にはつまらないものとしか思われないだろう。でも詩・詞を読みながら眺めていれば、けっこう俗世間を離れた気分にさせてくれる。

個人的にそれ以上気に入っているのが人物画像である。これらも西洋絵画の肖像画を見慣れた眼からは線だけで描かれた平坦な画像であり、下手なスケッチにしか見えないだろう。まぁ其処が好い、と思って一人悦にいっているだけの話である。

そう言った中国の古い版画の人物画像の中でも一番気に入っているのが、任渭長の作品である。
私が任渭長の名前を初めて知ったのは、青木正児氏の名著『酒中趣』を読んだ時である。
同書の中扉に任渭長の版画が三図載せてあり、いかにも伝統的な中国文人の趣味というべき人物とその図が気に入ってしまった。青木氏によれば、これらの図は任渭長の『列仙酒牌』よりの引用とのことであった。

任渭長「黄石公」_筑摩『酒中趣』中扉

任渭長、本名任熊<ジン ユウ>、中国浙江省蕭山県(現浙江省杭州市蕭山区)の人。嘉慶の末年(1820年頃)に生まれ、咸豊の六年(1856年)頃に40歳にならずして死んだと伝えられている。任渭長については知られていることは少なく、私の知識は青木先生の本から得たものに限定されている。

任渭長は人物の版画で知られ、代表作の『列仙酒牌』、『剣侠伝』、『於越先賢伝』、『高士伝』は現在でも時々中国で出版されるので、入手はそう難しくはない。

些か問題になるのが、どんな画像であるか、の問題である。確かに筑摩書房の『酒中趣』に載せられている任渭長『列仙酒牌』の三葉の図版は素晴らしかった。青木先生の本によれば、これら三図は『列仙酒牌』原刻本のものとの事である。

のちに『列仙酒牌』の全図を見てみたくなり中国で古本で出ていた『酒牌』(山東書籍出版社)を入手したが、図はそれなりの出来で、筑摩書房の本に載っているものと比べるとかなり劣っていると言わざるを得なかった。

その後に中国で『任渭長木刻画四种』(学苑出版社)という本が出たので、なけなしの金をひねり出して購入したが、こちらに載せてある図の出来はかなりのものであった。青木先生の謂う原刻本のものと決して同じではないが、こちらはこちらで味があり、素人眼には充分満足できるものであった。

黄初平図三種

まぁこういった芸術というか趣味の交じった世界の話となると、ちょっと立ち入ってしまうとととんでもない処に引きずり込まれる危険がある。知っている人には有名な話であるが、例えばベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」の、その演奏の一つであるフルトヴェングラー指揮/ベルリン交響楽団の、その数多くある録音の一つである「ウラニア盤」をめぐる話についての蘊蓄のようなものである(興味のある人は netをみてくれ)。

任渭長の『列仙酒牌』についても、元々は任渭長が子供の生まれたのを祝って宴会を開いた際に使った酒牌(一種のカード)で、お客に土産として贈ったものである。酒牌として制作されたものではあるが、現在手に入るものは全て本の形式となっているとのことであり、これらについて原刻・重刻等々いろいろな話がある。立ち入ってみたい方は青木先生の本でも読んで貰えればと思っている。

桂父図二種

任渭長『列仙酒牌』では、一頁に一人の人物が紹介してある。歴史上に名を残している実在した人物もいれば、神話で語られている者や現在ではよくわからない人まで入っている。これらの人々は、任渭長の生きていた時代の中国では、仙人と考えら、尊敬されていたのであろう。

尚、『列仙酒牌』は酒牌であるから、元々は酒席での遊びとして作成されたもので、簡単に言えば、そのカードを引いた人が何か罰ゲームのようなことを行うようになっている。その罰ゲームの内容を書いたのを「酒約」と言って、『列仙酒牌』では讃の後ろに付け足した形で書いてある。

長く生きてしまったせいで、いまさら「苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたり」の世界に首を突っ込んでみようという気がしない。そう言った類のものからできるだけ遠ざかり、残った時間の幾何かでも無何有の郷で無用の大樹の下に寝そべり、風の背に培り、青天を負いて、南を図らん。

トリストラム・シャンディーに倣って始め、王子猷の流儀で書き進めるとしよう。

【蛇足自注】

「任」の読み
任渭長はジン イチョウと読むべきである。
任は、日本語でニンともジンとも読める字である。一般の熟語(任用、任地)ではニンと読むのが普通であり、人名(中国人の姓)としてはジンと読むのが慣例である。webでニン イチョウと呼んでいる例も散見するので一言書いておく。念のため『大漢和辞典』でも確認してあるが、ジン イチョウとなっている。
さらに付け加えれば、現代中国語では「任」の発音(拼音)は renであり、カタカナでは「レン」と表記される。


讃(賛)とは中国の絵画に書きこまれている文字の事を指している。基本的にはその画を讃えている詩や文章である。
中国の絵画では讃を書き込むためにそのための余白をとってある。画に見合った讃が入って始めてその画は完成ということになる。どんな良い画でも讃が駄目なら、その絵を含めて駄目な作品とされ、誰も讃を入れてくれないので仕方なく自分で讃を書き込むのを自画自讃という。
改めて書くまでの事は無いと思っていたが、念の為に。

「苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたり....」:夏目漱石『草枕』より

「無何有の郷で...」:『荘子・逍遙遊篇』より

トリストラム・シャンディーに倣う
「最初の一句はともかくも自力で綴る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。なにをかくか自分には無論見当が付かぬ」夏目漱石『草枕』より。

王子猷の流儀:「もと興に乗じて行く。興尽きて反(帰)る。何ぞ必ずしも安道を見んや」。普の王子猷は、雪の降った後、月があまりに綺麗なので友人の戴安道に会いたくなり、舟にのって戴安道を訪れようとした。しかし、安道の館の門前まで来たところで急に興がさめ、そのまま引き返したという話。子猷尋戴『蒙求』より

【参照】

『任渭長木刻画四种』<学苑出版社、中国>
『酒牌』<山東書籍出版社、中国>
青木正児『酒中趣』<筑摩叢書>
青木正児『江南春』<平凡社東洋文庫>
夏目漱石『草枕』<岩波文庫>
早川光三郎『蒙求』<明治書院>


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