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『老子』は陰険か

「老子は陰険である」とよく言われ、たしか一万円札のおじさんの本(渋沢栄一『論語』)にもそんな風に書いてあった気がしますが、該当箇所が見つかりません。
その『老子』の中でも一番陰険と言われているのが第三十六章です。

『老子・第三十六章』の前半を書き出してみると次のようになります。
将欲歙之。必固張之。  縮めてやろうと思うときには、
              しばらく羽をのばさしておくにかぎる。
将欲弱之。必固強之。  弱くしてやろうと思うときには、
              しばらく威張らしておくにかぎる。
将欲廢之。必固興之。  廃めにしてやろうと思うときには,
              しばらく勢いづけておくにかぎる。
是謂微明。       これを底知れぬ英知という。

上記の訳は福永さんのものをお借りしましたが、たしかに陰険な感じのする文章です。

金谷さんの『老子』では「いかにも老子流の常識破りの奥の手であるが、見方によっては、あまりにも権謀術数的で老子の無為自然とは合わないように思える」と説明されています。

福永さんも「その説明は無爲の聖人の”無作為の作為”を説いて余りにも作為的であり、『老子』の哲学の一般的な論述と大きく趣を異にするだけでなく、法家の権謀術数の主張とも多く一致するので、古来、法家による後次的な附会の文章とみる見方が強い」と老子本来の文章ではないと説明されています。

諸先生が説明に苦労されているのがわかります。

こヽで陰険・悪辣な印象を与えているのが訳文にある「しばらく」という言葉です。「ちっとの間だけいい顔をさせて、後で巻き上げてやる」ってのは悪代官と御用商人の会話に出てきそうな話です。これでは「陰険」と言われてもしょうがないでしょう。

『老子』の原文にたち帰ると、この「しばらく」という訳語は「固」についてのものです。
「あれっ」って思いませんか。「固」は漢文を日本語に訳すときは「本来は」とか「もとより」と訳されるのが普通です。

『老子』のこの部分で「固」を「しばらく」と訳すのは、「固」の字を同音の「姑」と読み替えているからです。
「姑」は、普通の日本語では「しゅうとめ」の意味だけで使われていますが、「しばらく」という意味も持っています。だからあの日本語訳になるわけです。

ではなぜ「固」を「姑」と読み替えているかと調べてみますと、『韓非子』説林篇上第二十二に「周書曰、将欲敗之。必姑輔之。将欲取之。必姑予之」とこの『老子』の文に似た文章があります。
だから『老子』の文章の「固」も元々は「姑」であった筈だと解釈をして「固」を「姑」と読み替えてるようです。江戸時代の太田晴軒『老子全解』でもそのように読み替えている(又四固字即姑字)のですから、かなり昔からのものだったのでしょう。

『韓非子』説林篇上第二十二でこの話に関係している部分は、中国の春秋時代の終わりの頃の話として出てきます。
普の智伯が、同じ普の六卿である魏の宣子に対し理由もなく領土の割譲を要求しましたが、宣子はこれを拒否しました。
それに対し家臣の任章が「智伯に領土を与えなさい。そうすれば智伯は奢り高ぶり、周囲の国々は智伯を恐れて心を合わせるでしょう。心を合わせた軍隊で敵を侮る国に当たれば、智氏の運命も長くつづかないわけです」と助言します。
それに続けて「周書では、これを打ち破りたいと思えば、必ずしばらくこれを助けてやれ。これを奪い取りたいと思えば、必ずしばらくこれに与えてやれと言っています」と説明している部分です。

こヽで出典とされる『周書』ですが現在は伝わっていない書物のようです。小川さんの解説では「宋の王応鄰は、権謀家の蘇秦が読んだ『周書陰符』の類であろうという」と書かれていますように権謀術数家の書物であったと思われ、こういった風に引用されるに相応しい言葉です。
もちろん、これが元々の『老子』の中の言葉であったというような記載はどこにもありません。

普通に考えれば、『老子』のように「固」を使った文章があり、それを縦横家が利用して、お客の注目を引くために自身の著作の『周書』で「姑」の字に変えて使ったと考える方が自然かと思えます。
そのようであったろうと思えるのは、同じ『韓非子』喩老篇には『老子』の文と同じ「故曰。将欲翕之。必固張之。将欲弱之。必固強之」「故曰。将欲取之。必固予之」と「固」のまゝの文章が引用されています。
こヽでもこの文の出所は『老子』とは明記されていませんが、その当時は『老子』でなくとも、後に『老子』の一部になったであろう書物には「固」の字が使われていたことを証明しているものかと思います。

尚、現在の中国の解釈(陳鼓應『老子註譯及評介』)では、<固、有「必然」、「一定」之義(徐志鈞老子帛書校注)>としています。

『老子・第三十六章』を「固」のまゝで解釈すると次のようになります。
将欲歙之。必固張之。  縮めたいときには、
                もとより必ずのばすようにする。
将欲弱之。必固強之。  弱めたいときには、
                もとより必ず強くするようにする。
将欲廢之。必固興之。  廃止したいときには、もとより必ず盛んにする。
是謂微明。       これを微かな道の働きを知るという。

この文章は、そのまま『老子』の基本的な考え方「逝ったものは、還ってくる」そのものです。
「伸びたものは必ず縮みます。強いものは必ず弱くなります。盛んなものは必ず駄目になってしまいます」と『老子』が見ている世の中の姿をそのまま表しています。
例えば月の満ち欠け、春夏秋冬の季節の動き等々の自然界の働きはこうなっています。当時には知られていなかった地球の氷河期ー間氷期の繰返しや生物の生存連鎖、また人間の社会活動の盛衰なども、この老子的な目から見れば、《逝っては還り、還っては逝く》の法則の繰返しの枠内にしかすぎません。
『老子・第二十五章』強いてこれ(『道』)に名前をつければ「大」と言うしかないだろう。「大」は逝き。逝けば遠くなり、遠くなれば還る(強為之名曰大。大曰逝。逝曰遠。遠曰反)。
『老子・第二十二章』ゆがんだものは完全になり、まがったものは真っ直ぐになり、へこんだものは満ちるようになり、おとろえたものは新しくなる(曲則全。枉則直。窪則盈。敝則新)
『老子・第九章』成功をしたら隠退するのが、天の定めたやり方である(功遂身退。天之道)。

『老子』の思想としてはごく当たり前のことを言っているこの文章を陰険なものにしてしまったのは、先に見たように元々あった「固=もとより」の字を恣意的に「姑=しばらく」の字に書き替えた結果です。

決して「『老子』は陰険」なのではなく、『老子』を陰険な風に見せかけたい置き替えの結果なのです。
意図的な改変としか言えようがないものですが、これを改めようとする動きはありません。明治以降でも漢学者には骨董市の雰囲気が残っており、古いものはなんでもありがたがってしまっているようです。

【煩注】

「明」について
「明」は、私は「道の働きを知る」という意味と考えています。
単なる「英知」(福永)、「明知」(池田)ではなく「一定不変の常道を洞察する特別な明智」(金谷)にかなり近いですが、一致はしていません。
『老子』で使われている「明」は、金谷さんの仰有るような一般的な言葉ではなく、「道の働きを知る」という道家的な用法と考えています。
いずれ、改めて書いてみたいと思っています。

【参考】

福永光司『老子』(新訂中国古典選、朝日新聞社)
金谷治『老子』(講談社学術文庫)
金谷治『韓非子・第二篇』(岩波文庫)
小川環樹『老子』(中公文庫)
池田知久『老子』(講談社学術文庫)
太田晴軒『老子全解』(関儀一郎『老子諸註大成』所載、井田書店)
陳鼓應『老子註釋及評介』(中華書局)


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