見出し画像

鵬について(『荘子』逍遙遊編)

『老子』とか『荘子』のような道家関係の本を読んでみようと思ったきっかけは人それぞれでしょうが、『荘子』の逍遙遊篇の文章が気に入ってという人は、私だけではないでしょう。

逍遙遊篇の出だしのあの鵬がはるか上空を悠々と飛んでいる姿は、いつも決まりきったような日々の生活にうんざりしている身としては、どこか遠くに誘われているような感じを与えてくれました。

『荘子・逍遙遊篇』には鵬の描写としては『怒而飛。其翼若垂天之雲。是鳥也、海運則將徙於南冥。』とあります。
力をふるって(怒)、飛び上がれば、鵬の翼は天から垂れ下がった雲のように見える。この鳥は、海が荒れた時に南に移ろうします、ということです。

また、鵬が南に移ろうとするときの描写として『鵬之徙於南冥也、水撃三千里、搏扶搖而上者九萬里』とあります。
三千里に渡って水を撃ち=三千里の範囲に強い風を起こし、大波を生じさせ、風を依りあつめて九万里の高さにまで昇る、ということです。

この二つの描写を重ね合わせると、この頃 net でよく見かける写真を連想しませんか?
そうです、海上で発生した竜巻の写真です。

<竜巻ー鵬図>

竜巻の写真はまさに「天から垂れ下がった(雲垂天之雲)」です。その時、当然、海は荒れており、広い範囲にわたって激しい波風が起こっています。そして、雲は非常に高いところ(九万里ですかね)にあります。『荘子』の描写は全く見事に表現しています。
どこか南の海で竜巻に出くわした人が帰ってからそれを人々に話し、それがいつの間にか鵬の話になり、それがまた北の果ての鯤という魚の話と合わさって、逍遙遊篇の話の原型となったのでしょう。

鯤については、明の方以智が「鯤は元々小魚の名前であるが、それを荘子が大魚の名前に使った」とし、その解釈がいろんなところで使われていますが、根拠とする『爾雅・釈魚』では「鯤、魚子」とあるだけです。
魚子とは魚卵のことです。小魚というならせめて「めだかちゃん」とかじゃなくちゃね、「イクラちゃん」じゃどうしょうもないと思っています。個人的には鯤=鯨(クジラ)説に傾いています。

まあこういった民間のお話を取り入れて、自由で伸び伸びした発想に身を委ねる事(逍遙遊)の象徴とした荘子の文学的才能には素晴らしいものがあると思います。

『荘子』を「中国の古代の哲学を理解するんだ」と力を込めて巻頭から読み始めても、大体は逍遙遊篇を読み終えるのが精一杯でしょう。『老子』ですと始めの解説を読んでいるだけで頭がぐちゃぐちゃしてくるし、『列子』などは手に取る人もあまりないでしょう。

といって、そんなに難しいものでもありません。
なにか西洋哲学とかいうものに毒されて、細かいところをグチャグチャ捻るのが学問のように思われているかもしれませんが、道家の本は古い中国人の考えで書かれた本です。今の西洋の考え方と根っから違っている部分が多々あります。

現在の日本は西欧文明一色に塗りつぶされています。「
たしかに西欧文明は物質の供給等の面では素晴らしい成果を挙げていますが、それが必ずしもその時代に生きている人々の幸せにつながっているかという疑問は随所にあがっています。
人類は、西欧文明以外にも優れた文明を発達させました。優れた文明には、それぞれ独自の思考方法があります。確かに科学技術の面では西欧文明に遅れはとりましたが、中国ー日本を核とする東洋には固有の思考方法がありました。

道家の考え方をぽつぽつ語ることによって、今の時代に失われるつつある東洋的なものに、いさゝかの光を当てることができたらと思っています。

【煩注】

「冥」について
福永さんは「冥」に<うみ>とルビをつけています。
金谷さんは「北の海」と訳しています。
池田さんは「北の彼方、暗い海」と訳しています。
冥には、北海、海、暗い等いろんな説がありますが、どれにも批判が付いて回っています。
冥=北海とすると、北冥有魚では、北溟は北北海になってしまう。
冥=海とすると、窮髪之北有冥海では、有冥海は有海海となってしまう。
こんな詮索が好きな方は王先謙さんの『内篇補正』でも見てください。

鯤について
『爾雅・釈魚』には鯤、魚子也。としか書いてなく、段玉裁先生も「魚子未生者曰鯤」としています。
これを「生まれる前は卵だが、生まれたものは子だ(凡未生者曰卵、已出者曰子)」として、「荘子は絶大の魚に鯤という小さい魚の名前を付けたのは、斉物(=万物斉同)の寓言だ(荘子謂絶大之魚爲鯤、此則齊物之寓言)」とか言っている方もおりますが、贔屓の引き倒しかな、って感じています。
鯤は鯨を指している(釋文引李頣云鯤、大魚名也。崔譔、簡文帝並云鯤當爲鯨。皆失之)という説の方を個人的には好んでいます。

摶[タン]と搏[ハク]
「鵬之徙於南冥也、水撃三千里、○扶搖而上者九萬里」にある扶搖の前にある○に入る字のことです。
この字については、古来二種類の文字が当てられています。
○摶[タン](右側 專)まるめる(圜)、あつめる(衆)。[福永]はばたく。[池田]羽ばたき起こし。
○搏[ハク](右側 甫+寸)とらえる(捕)。うつ(撃)。[金谷]はうつ
通行本(續古逸叢書本)では摶[タン]につくっていますので、福永・池田共に摶[タン]にしていますが、金谷では搏[ハク]に直しています。
「鳥が羽ばたく」という意味でしたら搏[ハク]の方がよろしいかと思いますが、私の場合「(竜巻が水を)集めてまき上げている」と解釈できる摶[タン]の方が適当と思いました。

【参考文献】

清 郭慶藩『荘子集釈』 中華書局
清 王先謙『荘子集解』 上海掃葉山房
清 王先謙『荘子集解内篇補正』 中華書局
福永光司 『荘子』 新訂中国古典選・朝日新聞社
金谷治  『荘子』 岩波文庫(ワイド判)
池田知久 『荘子』 講談社学術文庫 
森三樹三郎『荘子』 中公クラシック


いいなと思ったら応援しよう!