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列仙酒牌 東方朔(とうほうさく)
【讃】抜剣割肉、抑何壯也:剣を抜いて、肉を切る。なんと勇壮なことか。
(酒約)好肉食者飮。:肉の好きな者は飲め
東方朔は、漢の武帝の時の役人であり、正史に記載されているれっきとした実在の人物です。『史記』では滑稽列伝に記載されていますが、『漢書』では個人として東方朔列伝がたてられているほどの人です。
しかし、今に伝わる東方朔という名前には、謹厳・実直な役人というより、どこか胡散臭いがする感じがつきまとっています。
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史書に残る東方朔の印象をうまくまとめたのが『漢書・東方朔列伝』の讃にある次の言葉です。
「朔の名声が実質以上に高いのはその洒落気が変幻自在で、一つの行いに限定できないからである。すなわち、応答の駄洒落は道化に似ている。当意即妙ぶりは知者に似ている。筋の通った諫言は忠臣に似ている。行儀が悪いのは世をすねた人に似ている(然朔名過實者,以其詼達多端,不名一行,應諧似優,不窮似智,正諫似直,穢德似隱。」。
東方朔は斉の生まれです。武帝が即位し、天下に人材を求めた時に上京し、三千枚の奏上用の竹簡に自分の売込み文句を並べて上書しました。武帝は中休みの度にこれを読み、読み終えるのに二か月かかったとか伝えられています(朔初入長安,至公車上書,凡用三千奏牘。公車令兩人共持舉其書,僅然能勝之。人主從上方讀之,止,輒乙其處,讀之二月乃盡:『史記』滑稽列伝)。
その時の売り込み文句が『漢書』に残っていますが、兎に角、何としてでも目立ち、皇帝の関心を引こうとする作戦が図に当たって、郎官という職に採用されました。
採用されても普通の役人のようにで仕えているわけではありませんでした。
『漢書』には東方朔の所業がいろいろ載っています。
『列仙酒牌』の讃で取り上げている事項も東方朔が次のような行ないをしたことによるものです。
三伏の日に勅命で役人に肉を配ることになったが、配る役人が日が傾いても来ない。策は勝手に剣を抜いて肉を切り、持って帰った。
翌日帝に「昨日勝手に肉を持ち帰ったそうだがなぜか?」と聞かれ、朔は再拝して言った「賜りものを受けるのに勅命を待っていないのは、なんと無礼なことだ! 剣を抜いて肉を切るとは、なんと勇壮なことだ! 肉を切るのに多くは切らぬとは、なんと無欲なことだ! 帰ってそれを細君に贈るとはなんと情け深いことだ!」
帝は笑って許し、酒一石と肉百斤を賜ったとのことです。
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正史に残る東方朔は滑稽者または変わり者の役人といった程度ですが、この彼が小説類に出てくるようになると一気に仙人になってきます。
『東方朔傳』では子供の頃から異常な能力を発揮したと語っています。
東方朔が一年くらい家を出たままで帰ってこないことがありましたが、ある日突然東方朔は大鷲に乗って帰ってきました。母が「一年間もどこへ行っていたの」と聞くと「紫泥の海にちょっと行ったら、紫の水で着ているものが汚れてしまった。だから虞泉に行って洗ってきた。朝に出て昼帰っただけだから一年も経ってるわけがないよ」と言った。
武帝に仕えてからも同じような感じで、あちこちと誰も行ったことのない処を訪れ、この世のものでない事物についての見聞をを列挙しています。
『漢武帝内傳』になると仙人化の度合いが一層進みます。
漢の武帝は、その父景帝が赤い亥の子が宮中に入った夢を見て目覚め、宮中の棟の間を赤龍が廻っているを見たことによってこの世に誕生したとされていました。
この武帝はが嵩山に登って七日の斎をしていると、青い衣を身に着けた非常に美麗な女子が現れました。
この女は「崑崙山の西王母使いである。七月七日に武王を訪問したいと思っているがよろしいか」とたずねました。武帝が承知したというと玉女は忽然とすがたがみえなくなりました。
武帝が東方朔に「今のは誰だ」と尋ねると、東方朔は「西王母の紫蘭宮の玉女で、西王母の言葉をあちこちに伝える役を担っています」と答えました。
武帝は七月七日までに宮殿を整備し、大殿に席を設えました。
当日になると、雲の中から鐘鼓の声が聞こえ、人馬の響きが聞こえてきて、西王母が現れ、武帝と懇談することになりました。
もうこうなると東方朔は一般の役人ではなく、天界に事情に通じている仙人ということになります。
東方朔がどうしてここまで仙人化されたかはよく判りませんが、兎に角、東方朔はそういった人物としても伝えられてきました。
初期の漢という時代を一個人として体現している人物です。
【蛇足自注】
東方朔の売込み文句
上書曰。臣朔少失父母。長養兄嫂。年十三學書。三冬文史足用。十五學撃劍。十六學詩書。誦二十二萬言。十九學孫呉兵法。戰陣之具。鉦鼓之教。亦誦二十二萬言。凡臣朔固已誦四十四萬言。又常服子路之言。臣朔年二十二。長九尺三寸。目若懸珠。齒若編貝。勇若孟賁。捷若慶忌。廉若鮑叔。信若尾生。若此。可以為天子大臣矣。臣朔昧死再拜以聞。(『史記・巻第百二十六』 滑稽列伝第六十六」)
さすがに『漢書』でも「朔の文面は不遜で、自分のことを高くほめそやしている(朔文辭不遜。高自稱譽。)と書いています。
東方朔の行状(の一部)
徒用所賜錢帛,取少婦於長安中好女。率取婦一歳所者即棄去,更取婦。所賜錢財盡索之於女子。人主左右諸郎半呼之狂人。(『史記・巻第百二十六』 滑稽列伝第六十六)
下賜された銭・帛を浪費して、長安の美女の中から若い女性を娶ったが、大体、娶ってから一年も経つと奔ててしまい、さらに新しい女性を娶るのであった。こうして、下賜された銭や材物は、ことごとく女のために費かいはたした。帝の左右の郎官たちは、彼をなかば狂人扱いしていた。
【参照】
野口定男他訳『史記』(中国の古典シリーズ、平凡社)
本田済訳『漢書』(中国の古典シリーズ、平凡社)
沢田瑞穂訳『神仙伝・巻下』(中国の古典シリーズ、平凡社)
『太平廣記・巻第六』<出洞冥記及朔別傳>
『東方朔傳』<五朝小説大観、上海文藝出版社>
『漢武帝内傳』<五朝小説大観、上海文藝出版社>
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