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対話を重ねて新しい共生社会の創造を|第12回宗教マイノリティ理解増進勉強会【上】
「第12回宗教マイノリティ理解増進勉強会」を9月21日に都内で行いました。
キリスト教の中川晴久牧師、新宗教の元役員、そして家庭連合から16名の合計18名が参加し、「宗教者間対話と共生共栄」をテーマに発表と意見交換を行いました。
発表要旨
とも(主催者)
前回は「宗教と無宗教」をテーマに行いましたが、結構重要なことだと思いました。日本で「宗教は何ですか」と訪ねると、80%ぐらいは「無宗教」と答えるということです。宗教性があるかどうかはともかく、自分は無宗教だと思っている人が圧倒的に多いわけです。
多くの国では、キリスト教とかイスラムとか仏教とか中心宗教があり、共生を考えると、その他の宗教との対話が大切になってくる。でも日本だと宗教とか信仰をアイデンティティとしている人が圧倒的に少ない。そんな中での「宗教間対話」というのは限界があると感じた。
なので、「無宗教」と思っている人たちとの対話も共生共栄を考えていくことで大切だと感じた。
そこで今回は、「宗教者間対話と共生共栄」をテーマにまとめてみた。
以下は、その要旨です。
宗教者間対話と共生共栄
宗教間対話とは
対立している、または対立しそうな宗教や人々の間で相互理解を深め、平和的な共生を目指す取り組み
宗教間対話の特徴
宗教対立の解消につながる可能性がある。話し合いによる異文化理解によって偏見をなくすことができる
異端論駁(宗教間対話が進む前の時代)
異端とされる思想や教義に対して反論すること。正統教理の形成と異端追放、正統集団とその周辺部に追われた異端、という考え方。どちらが正しくてどちらが間違っているか、どちらが正義でどちらが悪か、という対立になる(議論)
議論
特定のテーマについて、それぞれの意見を主張し、反論し合うもの。自分の意見を相手に伝え、相手に自分の意見を受け入れてもらうことが目的。そのため、議論はしばしば、意見のぶつかり合いや対立に発展する
対話
議論とは異なり、お互いの意見を理解し合うことが目的。相手の意見をよく聞き、自分の意見を理解してもらうことを大切にする。議論よりも穏やかで、建設的なコミュニケーション
共創
多様な立場の人たちと対話しながら、文字通り新しい価値を「共」に「創」り上げていくこと。
対話を通した気づき⇒それまでなかったもの。神から与えられたもの
宗教者間対話(中川牧師)
組織とか集団としてより宗教者一人ひとりが対話しながら共に新しい未来を創っていく
共生
性別、民族、言語、障害など、さまざまな違いのある人が、対等な存在として、ともに認め合い、支え合う生き方
多文化共生
国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと
「多文化共生社会」は信教の自由から始まった
信教の自由はなぜ大切か?
信教の自由は相手の人権を尊重するために大切な考え方・マインドであり、それを保障するための社会制度は異文化コミュニケーションに絶対に必要。
多文化共生社会の原点
歴史的に見ると、信教の自由を保障するマインドを最初に作り上げたのはキリスト教、特に17世紀のプロテスタント。
当時のキリスト教にはカトリックとプロテスタントによる宗教戦争や、プロテスタント内の派閥争いがあった。
最終的な真理は神以外にはわからない。そこで神を絶対化し、人間の意見は相対化しようという考え方が生まれた。これが寛容の精神のルーツ。
それを社会制度化したものが信教の自由であり、多文化共生社会の原点。
対話を通じた共創を目指して
とも
まとめますと、違う信仰や違う価値観の人たち、それは宗教者だけではなく無宗教の人も含めて、どちらが正しいかという議論ではなく、お互いの対話を重ねて、新しい共生共栄社会を創造していく、この会を通して、そんなことができたらなと思っています。
※ 次回はこの後に行われた参加者間の意見交換をアップします。
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