信教の自由のスタンス|第11回宗教マイノリティ理解増進勉強会【下】
「第11回宗教マイノリティ理解増進勉強会」(8月23日開催)の意見交換の後半をまとめました。「宗教と無宗教」をテーマに家庭連合の他に二つの宗教団から参加がありました。
意見交換
宗教間対話の意義
E男さん(家庭連合、壮年)
どうして宗教間の融和は難しいのかを聞いてみたいです。
B男さん(新宗教Aの信徒)
うちで宗教間の対話を目的で始めた企画があって、3〜4団体集まっていただいたんですよね。最初はそれぞれの宗教団体の教義のお話を頂いて、それに関して「ご意見ください」とやってみたんです。そしたら、なかなかまとまんなかったんですよ。
それで共通点として同意を頂けそうなテーマ「次世代の心に響く宗教」でしたところ、まあまあうまくいったと思うんです。どの団体さんも素晴らしいテーマだと言って参加して頂けるようになりました。
C男さん(新宗教Bの元役員)
私がこの会に出てるのは、いつも使ってる専門用語が使えないというのがあるんですね。教団独自の教義があるので、教団内だと教団の専門用語で簡単に通じるんですけど、こういう場では通じませんよね。
それで自分で脳みそが考え始めるんですよ。どうやったら通じるんだろうなと考えながら話さなきゃいけない、という面白さがあるんです。
それと単純に色んなことを勉強できるというのがあります。
共産主義って私は全然興味はありませんでした。それで共産主義を目の敵にしている団体ってどうなんだろうと。単純に大学のゼミみたいですよね。
だから「理解しよう」と思わないといけない、批判したら戦争になっちゃいますよね。
A男さん(新宗教Aの信徒)
宗教間対話が教義ベースだと難しいというのはありますけど、今、日本の現状から見た時に、「信教の自由の危機」というとこに関して、これは本来、宗教間でむしろ今作っていかないといけない分野ですよね。
ご存知ですかね、フランスは実は特殊な国なんですね。どちらかというと共産主義に近い。いわゆる中国とか北朝鮮とかロシアとかの次に近いのがフランスぐらいなんですね。
だけど日本のワイドショーを見ている人にとっては、「フランスに習え」って言われますよ。宗教に対する対策とかでフランスを引き合いにするんですけど、これって「表現の自由を中国に学べ」というのと同じレベルなんです。そこを一般人が知らない。だからそういうフランスの現状とか見ている人たち、宗教者から見ると、本当に信教の自由ってすごい重要なテーマなんですね。
もう一つ考えているのは、「社会における宗教の役割」とした時に、宗教がいかに社会の役に立っているのか、社会貢献でどういうことができるのかということは、結構共通部分があるんです。例えば災害対策とかって、宗教団体はすごい率先してやっているんです。
いろんな宗教団体でそれぞれの教義に基づいた社会改善、非宗教的な活動があるわけですよ。そのレベルで話すというのも役に立つ話ですね。
信教の自由と「いじめ問題」
E男さん(家庭連合、壮年)
例えば、今の家庭連合の信教の自由は「政府から弾圧されているぞ!」「俺たちは間違ってないぞ!」と。これだと対立するという指摘もあります。その辺、信教の自由を守るというのは、どういうスタンスで打ち出すといいでしょうか。
A男さん(新宗教Aの信徒)
他の宗教の人が家庭連合を守るというスタンスでやると、相手につかまる、敵側と言うか、そこで使われる。「こいつらシンパだ」と、もしくは「壺議員だ」とか「壺団体だ」とか反応も決まっているんです。
そうじゃなくて、「信教の自由は普遍的な民主主義の基礎ですよ」というところに持っていかないといけない。こういった対話で気を付けないといけないのは、「シンパ」とか言われてしまうと向こうに材料を取られてしまう。そうじゃなくて、「信教の自由を本当に守る」というスタンスでやっていくところが重要ですね。
「憲法を守れ」とか「人権だ」と言ってる人こそ信教の自由を平気で侵害するというのがあるんですけど、これはダブルスタンダードであって。
共産主義者は一見して「世界平和」とか「マイノリティの人権」とかを取り込んでいきながら、もしくは「護憲」とか言いながら、本当は全部それを破壊しようとしている。
そこで「信教の自由とはこういうものなんです」「これを守らなければならない」というところを前面に立てることが大切です。
だから家庭連合さんのスタンスとしても、「自分たちを守るんだ」とか「自分たちの権利のために」とやるんじゃなくて、「人類にとって普遍的なものを守っているんだ」というスタンスを取るのが一番いいと思います。
とも(主催者)
今言われてた信教の自由が普遍的な価値というのは、その通りなんですけども、私も何人かの宗教者に「人権と信教の自由を守る大会」ということで、スピーチをお願いしたら、ある牧師さんに「このテーマではちょっと話せない」と言われてしまったんですね。ある住職さんも、「信教の自由というのは法律用語なので、宗教者に馴染まない」と言われてたんですよ。
おそらく欧米だと信教の自由というのがすごく普遍的なものという意識があるんだけども、日本の宗教界だと、信教の自由に対する意識感覚というのがちょっと違うんじゃないのかなと思ったところもあるんですが、その辺について感じることとか思うことがあったらお聞きしたい。
A男さん(新宗教Aの信徒)
正直危機感がないからだと思います、「家庭連合と距離を置くことによって、火の粉が降りかからないようにする」ことの方が今の宗教団体にとっては重要なことなのかな。
要するに、「自分たちは悪いことしてません」と。でもどこの団体でも寄付の話とか、あるいは一部の背教者とか、どの団体にも不満持ってる人は1パーセントぐらいいるわけです。その1パーセントだけをピックアップしたら、どんな団体でも悪く見えるわけです。それを使われている。同じことをされることにまだ無自覚なんですよね。
これは同じ手法を使えば「どこの団体でも潰せるんだよ」というこのなので、恣意的に時の政権にとって邪魔な存在を潰せる方便として使える武器になってしまうんです。
例えば、憲法改正は、手続きを踏んでするものだけど、怖いのは形骸化させること。要するに本当は憲法で認められてるものを無効にさせる。これが本当の意味の「憲法の破壊」ですね、「破壊工作」です。
それで信教の自由を潰されたら、独裁政権になってしまう、そこの危機感がないんですね。
「いや、そんなことないでしょう。むしろ家庭連合を自分たちと切り離しさえすれば守られる」と考えている。それが得策だと考えてるだけなんです。
例えば寄付金の新しい法律でも、悪用すれば、子供が、後から申し立てたら返金されてしまう可能性があるとか。そのリアリティを知らせて、自分たちの関係する問題だというところをもうちょっと理解してもらえるようにしないとと思います。
E男さん(家庭連合、壮年)
難しいですよね。そこまで問題意識を持って考える人ってあんまりいないと思います。
A男さん(新宗教Aの信徒)
いじめ問題と一緒で、今のところ自分たちに火の粉が降りかかっていないので、どっちかというと誰か犠牲者を作っておけばそっちに注意が向くから、自分たちは被害者にならないと思っているんですよ。
でも、本当の意味のいじめの首謀者というのは、自分以外全員最終的には潰すんですよ。だから本当は勇気を持って、このいじめ自体がダメだと言う人がいないと。
そういう意味では、信教の自由というのをもう少し普遍的なものにする運動としてする。
ぜひ、自分たちを守るのも大事だけど、プラス、「信教の自由を守ることが日本、ひいては人類の民主主義を守ることだ」というメッセージまですれば、他の人たちの心に響くと思います。
宗教性と教育
F子さん(家庭連合、大学生)
家庭連合の教育者の研修会に参加したんですけど、結構、今の子供たちは自己肯定感が低い子が多くて。そういう中で神様の視点で自分を見れるような、そういう教育作りの話があって、そういう教育の観点、宗教性とか、精神性を高めていく教育って大事だなと思いました。
とも
一応私は「宗教教育学」を専攻したんだけど、「宗教性のない教育はない」というのがあるんですね。日本社会の中でそういうのをどう伝えていくのかというのも必要かなって感じますね。
G子さん(家庭連合、婦人)
日本では意識しないで生活の中に宗教が染み込んでる「日本教」という話がありましたけど、こういう宗教間対話に宗教者だけが集まるんじゃなくて、一般の方も「日本教として普通に育ってきました」ということで、入っていただければ、対話が広がるのかなと思いました。
とも
今「宗教者間対話シンポジウム」を企画しているんですけど、その趣旨として、日本の普通の宗教観の人との対話っていうのも入れてるんですね。なので宗教者だけじゃなくて、無宗教とも言われるし日本教とも言われるような、そういう「普通の日本の宗教観の人も含めて」とテーマに入れてあるので、そういう感じで、日本がいい形で和合されて神様に向かっていくようなものを作っていければなと思っています。
皆さん、今日はありがとうございました。
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