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もしもパスポを失くしたら(前編)

 海外旅行中、言葉が通じない国でパスポートを失くしたら路頭に迷います。間違いありません。その状態は、茫然自失、顔面蒼白、孤立無援という四文字熟語がよく似合います。私がそうでしたから、確信を持ってこれは断言できます。

 早く日本に帰りたいと思うなら、最初にすることは三つ。

1 探すのをあきらめる(これがなかなか難しい)

2 大使館か領事館に電話する(日本語を話せる人がいます)

3 必要書類を集める

最も難易度が高いのが3です。
必要書類は以下の通り。

A 現地の警察署が発行する紛失届か盗難届
B 顔写真(3.5×4.5センチ)2枚
C 帰国便のチケット
D 戸籍謄本
E 多少の現地通貨

 私がパスポートを失くしたとき、Eの「多少の現地通貨」しか持っていませんでした。帰国便の飛び立つ2時間前に紛失に気付いたものだから、航空運賃もパーでした。帰国日がいつになるか計算できないので、航空券すら予約できない状態でした。

 後になって分かったことは、戸籍謄本(抄本はダメ)と顔写真だけは、日本出国時に調達しておくことが大切だということです。戸籍謄本がなければ、「帰国のための渡航書」という一回限りの簡易な旅券を作れません。従って、パスポート発行までずいぶん日にちを費やす覚悟が必要です。
 
 集める書類のうち面倒くさいのがAです。強面の警察官の前で、まるで犯罪者のように小さくならなければなりません。私がそうでした。そこをスムーズに乗り切るための裏技を後で紹介します。

 これら5種類の書類を早く集めることができれば、最短で翌日には帰国できるかもしれません。幸運を祈ります。


 さあ、実習編です。私がパスポートを紛失してからのことを語ります。時に汚い言葉が出るかもしれませんが、ご容赦ください。

 あれは、2019年7月10日のことだった。
 モンゴルの首都の中心街にあるウランバートルホテルで目が覚めたのは、午前5時半。ノモンハン戦争犠牲者の慰霊が目的だった旅の移動距離は、合計4千キロを超えていた。その日、午前8時40分発のモンゴル航空で関西国際空港へ帰ることになっていた。

 前夜に飲んだ馬乳酒や赤ワインで少々、体が重い。旅の疲れが蓄積しているが、あとは余った現地通貨トゥグルクでお土産を買って飛行機に乗れば、昼過ぎには大阪だ。関空のがんこで、「ゆば寿司食うぞ」と燃えていた。

 カリマーの大小のリュックサックをホテルのフロント前に運んだのが午前5時50分。すると、小さなリュックの脇ポケットに入れているはずのパスポートが見当たらなかった。

 エレベーターに乗って部屋に戻って、ベッドの上、洗面台、トイレとくまなく探した。

  ない。まさか?

 自分では見えないが顔面蒼白状態だったのは間違いない。

 思いあたることがある。昨日、ウランバートルから669キロ離れたチョイバルサン空港で飛行機に乗ったとき、私の小型リュックを取り上げた男のせいだ。国内航空会社「フンヌエア」の男性客室乗務員は、私のリュックを、座席上の荷棚に何度も突っ込もうとしていた。一目見ただけで、入らないのはわかるのに、何度も何度も押し込もうとしていた。この時、チャックのついていない脇ポケットから、パスポートは床に滑り落ちたに違いない。結局、リュックは荷棚に入らず、客室乗務員は空席にシートベルトでくくりつけていた。

 だとしたら、飛行機内にあるはずだ。とりあえず、ウランバートルのチンギスハーン国際空港まで、旅の仲間たちとバスで行くことにした。

 フンヌエアで座っていた席は13Cと覚えていた。空港の事務所で聞いたら「お預かりしてました。はいこれ、あなたのパスポートです。良い旅を」と言ってくれるかもしれない。

 いい方にいい方に考える癖が昔から治らない。
「フンヌエアの事務所が空くのは午前9時からです」と非情な知らせが入った。飛行機の離陸は8時40分に迫っていた。電話をかけても繋がらない。

ちっきしょう、オーマイゴッド、ケッパッカード(イタリア語)。

 こんな時に吐く言葉は、どんな国の言葉でも小さな「ッ」が挿入されている。

 そんなことはどうでもいい。
 帰国する 一行に別れを告げ、私は一人ホテルに戻ることにした。関空のがんこの湯葉寿司が遠ざかっていった。

こういう時にいつも浮かぶ言葉がある。
「これが最悪と言えるうちは最悪ではない」
(シェークスピア)

 そうなのだ。明日から、モンゴル最大の祭りナーダムが始まるのだ。楽しいお祭りだ、と騒いではいられない。ナーダムが始まれば、モンゴル国内1週間は全てが休みになると聞いた。もちろん役所も機能停止だ。やばい、やばい、今日中になんとかせねば。

 とりあえず、通っている大学の事務局に「明日の授業は休講にしてください」とメールを打った。

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