色々計算した邪馬台国までの一里の一説、と言うか混乱

こんばんは

混乱しています。何故か邪馬台国の位置論に相変わらずハマってしまっています。里数が混在説は一旦捨ててみたほうがいいかもしれない。一里がいくらなのか?これがわからなければ議論の出発点にすら立てないと思うので、色々考えてみています。ほぼ魏志倭人伝の記録に頼る感じか?

朝鮮半島の大きさの測り方が別の部分に方可4000里とあったはず、これをどう解釈するかで変わりそうである。古代から面積やその一辺で、図形の大きさを判断していたと言うのも仮定に過ぎない。一辺の長ささえ分かればあとは大きさを容易く測れるとするほど、その理解が進んでいたか、と考えることもできよう。円の面積を習ったとき何故もう一つ似た概念を学んだか?古代において物の大きさを測るのに面積を用いない場合、一周回る長さ、円で言うと円周にあたるものを基準にしていた可能性はある。ここでは方なので、正方形ないし、長方形の外周だと思う。これなら方可4000里でも一里200メートルの自説に合わせうる。いわゆる短里約70メートルくらい、とは異なるが似た様なものである。

とは言えその数字自体に根拠らしい根拠はない。そもそも本来当時の一里は400メートルくらいと言う。強いて言うなら邪馬台国に至るまでの行程に見える名前と合致する様な、それらしい土地の名前を繋いだらなんとなく約200メートルがそれらしいと判断したに過ぎない。何故半分の里数が存在するのか?それは一歩の計算を半歩単位にしたから。これはこじつけめいている。両足で測るものを片足にしたとか?否、個人的には海の一里だと思う。ただ、帯方郡から計算した、狗邪韓国の場所が少しずれてしまう。東にあるとされるが、西の端だったとすれば辻褄は合わせられる。これもどのくらい正当化できるか謎で、帯方郡が半島からはみ出して秦皇島になってしまう。中国まで行って良いのだろうか?

ともかく、一里だけでもはっきりさせないと、方角のズレの評価すらままならない。陸の一里と海の一里が別で、海は陸の半分とする仮定も仮定の一つでしかなく、あり得ないとする根拠が明らかにあれば引っ込められるとは思う。歴史あまり知らないし。

自説において水行部分を無視したことは問題である。自説だと、滋賀から三重や愛知に至る位置に運河が東西に走っていたら楽だが、そううまくはいかない。許容範囲が角度45°までのズレなら始点と終点の角度で判定したい。それでも水行が消えるのは流石におかしいとは思う。水系について地図を拡大してもよくわからない。

こうなったのは二つの里が混在してる説を取ったせいなので、捨てるべきなのだろうか?地名の解読には何故か自信があって、それを無下に否定されると苦しくなるが、明らかに間違えていると自覚できたら引っ込めたい、と言う割に執着している様だ。

他の説で納得出来たらそれ以上考えなくて済む。しかし、九州説は短里で押すし、畿内説は必ずしも短里を採用しないと思うが、考古学的な研究に偏るのと先入観の強い印象。では短里説があると信用しないのか?そんなこともなく、短里の正体に説明がつけば納得する。自分も似た概念を作ってしまうが、海の一里として混在させたり正体は納得して考察している。いや冷静になって考えると、洛陽から帯方郡までの距離は怪しいけど。これが5000里とすると自説では200メートル1里となって海里とする説に合わない。いや楽浪郡までが5000里で、帯方郡ではない。これは一里400メートルとして良さそう。クシャーナ朝に張り合って17000里に邪馬台国としたかった説にもあうが、これが帯方郡なら自説だと混在説には危険である。ただ解釈でなんとかできる余地はあるかもしれないし、むしろ否定的かもしれない。混乱気味なので一回頭冷やそう。西宮伊丹くらいに伊都国があったとしたがそれは、海里をやめて陸の里に変更したから。その解釈が間違えているなら、岡山くらいになるが、奴国には奈良であって欲しいと願望入っているので、捨てがたい。私情は挟んではならないけど。

畿内説については、考古学は解釈が大事で、先入観は最大の敵だと思う。しかも最古級の古墳を卑弥呼の墓と仮定してるけど、サイズや設計が符合しないともいわれている。これでは、考古学を大事にしているとも思えなくなるけど、他人の事は言えない。

帯方郡の位置や狗邪韓国の位置すら明らかなのか知らない。一大国と一支国が混同されて書き写しされている、と仮定するのも疑義がある。単なる書き間違えではなく、混同とすれば一大国の情報と一支国の情報が混ざることになり、島と言う仮定も不要になるが、それを唱えているのは自分一人かも。

狗邪韓国が、西の方と言うのは前方後円墳の韓国における分布を考えれば成り立ちそうではある。倭の北岸は狗邪韓国とされている。半島に倭人の国があったとする説はある程度確かなようだ。東は別の国として経由できなかったので、そこから一気におそらく対馬、對海国と呼ばれた所に渡る。その距離千余里、一里200メートルでも辻褄は合う。

ただ奴国から不弥国まではよしとして、そこから投馬国までの水行がよくわからない。これが自説のさまざまある弱点の最大にして致命的な部分だと思うが、どうなのだろう?山を一つ越えてしまえば、そこ以外すべて水行ではあるけれど。山を越えるのも含めて水行とはこれ如何に?

海里1里あたり200メートル陸里は400メートル説を個人的に推した結果、三重か愛知かに行ってしまった。個人的には愛知より三重の方が近そうなイメージだが、邪馬台国は山田野川説もありそうで符合し過ぎて恐ろし、と思っているのは自分一人。志摩市でないなら、その辺りになる。が、方向に違和感がなくは無い。並べると、狗邪韓国、全羅道あたり?對海国、対馬。一大国、定説に反して日田、大分のあたり。末藘国、まつろ、ではなくすえら、でこれも定説に反して世羅、広島。伊都国、伊丹か、もう少し西か。奴国、奈良だと思うんだけども。不弥国、結局近江、滋賀のあたり、と考え直す。投馬国、よくわからないが、津、松坂のあたりと考えよう。邪馬台国、志摩市でないのなら、山田野川のあたりかなと思う。それも海里1里200メートルに陸は400、方角は大体45°ズレていて、それなりに説明はできなくもない。誤差の範囲だ。通説にはめちゃくちゃ反しているが、そんなにあり得ない説とも思えない。ただ弱点は水行で山や峠を越える必要があることくらいだ。縁もゆかりもない場所に邪馬台国を持ってきたが、何故かこの流れしか考えられない。取り憑かれているのかもしれない。帯方郡が半島からはみ出しているとか、突っ込み所はたくさんあるけど、なんとなく捨てがたい説であった。どうすればこの呪縛から解けるのか?邪馬台国の場所が、完全に解明されないと段々やつれそうな気さえしている。狗奴国は紀伊国説からして呪縛してくる。木の音は上代の音韻規則的に八母音の痕跡を示すところで、ズレてもおかしくない。とは言ったものの。他の説も気になるのだ。古代の名前は映されて、他の地域も名乗ることがあるから、余り当てにしてはならない。

少し疲れました。少し休みます。あえて発表しておきます。

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