大谷翔平選手を見て思うこと 平井堅「思いがかさなるその前に…」
アラカン世代ともなると、若い人が自分の才能を活かせるものを見いだし努力し夢を叶える姿を見ることは嬉しいことだ。
どんな分野でも存在するのだろうが、やはり分かりやすいのはスポーツの世界だろう。この度、MLBのドジャースがワールドシリーズを制しワールドチャンピオンに輝いたが、そのチームの一員として活躍した大谷翔平選手が若い頃の夢を実現したことは私もファンとして嬉しい。
大谷選手は高校時代に自身の人生設計シートを作成したことはよく知られている。そのシートは驚くべきことに1年単位で緻密に作成されている。ワールドシリーズで優勝しワールドチャンピオンになることもそのシートに明記されており今回見事に実現したが、そういう若い頃の夢を実現している人々がいれば、逆に、私のように若い頃の夢を忘れてしまった人もいるだろう。
そんなことを想っていると思い出される不思議な歌が ある。平井堅の『思いがかさなるその前に…』である。
この曲は元々CM曲として発表されたが評判がよく2004年10月6日にCD化されたという経緯がある。
当時、この曲を聴いた私は恋愛がテーマの曲なのかなとも思ったが、どうもそういう感じでもなさそうで不思議な印象をもった。作者の平井堅はwikipediaによると「子供の頃の自分が、未来のボクに向けて書いた手紙でもあり、逆に大人になった自分が、昔のボクに書いた歌でもある」とし、「様々な時間軸の中での『思い』が交差していて、まさしく『思いがかさなって』いるのです。この歌を聴いてくれるみなさんに、自身の新たな『思い』をかさねてもらえたら嬉しいです」とのこと。当時、平井堅の意図を知って私は不思議な歌を作ったものだと感心したものだった。
それから歳を重ね、この歌を聴くたびに、大谷選手に代表される「夢を実現する者」と私のように「夢を忘れてしまった者」の思いが交差し、少しだけ涙がポロっとするようになってしまった。
思いがかさなるその前に...
例えば、大谷選手の場合だと、ワールドチャンピオンになった「今日の日」に高校生最後の夏に甲子園出場を逃した「あの日」に流した悔し涙を思い出したりしたのだろうか。
エンゼルス時代、大谷選手はポストシーズンに1度も行けなかった。行けないことが確定するたびに肩を落とす「高校生の大谷選手」
「メジャーリーガーの大谷選手」は、そのたびにワールドチャンピオンになることを設計した「高校生の大谷選手」の気持ちを蘇らせていたのかもしれない。
ワールドチャンピオンになるためにより良い環境へ行こう。その夢のためにエンゼルスからドジャースへの移籍。
ここから一転して、この歌は私自身に突きつける。幼い頃に描いた自分の夢を忘れてしまった私。私は幼い自分にちゃんと別れを告げられたのだろうか…
幼い自分に別れを告げる前に「決別の握手」をするべきかもしれない。
メジャーリーガーになるとかワールドチャンピオンになるとかは他人からすれば荒唐無稽なことかもしれない。誰から理解されなくても自分の道を歩き続けよう。
人知れず流した涙も激しい練習で傷付いた身体も夢を実現するためのもの。自分のために歌っていこう。
今では夢を抱いていたあの頃の自分の輪郭さえぼやけてしまっている。消えかかる幼い自分を最後まで見届けることができるのか…
夢を抱いた消えかかる幼い自分。その自分に対して、今現在の大人の自分は何ができるのか。最後まで見送るべきなのか。たまには思い出すことなのか。
夢を実現している人も夢を忘れてしまった人も、夢を抱いた幼い自分をたまには振り返るのもいいかもしれない。
あるいは、今現在の自分がいつしか「君」となって、1年後の自分が「僕」となり、どういう思いがかさなるのかを想像してみてもいいかもしれない。
もちろん、この歌を恋愛の歌と解釈することもできる。あの時、幸せにしてあげられなかった「君」を思い出すのもいい。
どんな人にも若い頃の自分と今の自分があって、その2人の間の距離感は人それぞれ違うのだろう。私の場合は遥か遠くになってしまった…とにかく平井堅は不思議な歌を作ったものだと思う。