仕事に縛られる時間が、人生を埋めすぎている。
「機械が人の仕事を代替わりできるようになったのに、人の労働時間が減らないのはなぜ?」を書いたあとに、足したほうがいいかなと思った文章から、転がった内容。
結論
労働的なことがからむ社会問題が、おおいことを認識されてほしい。健康的で、健全な生活と次世代経済のためには、労働の時間や日数の調整の必要です。
前回の追記部分
もっというと機械化した労働力も人間の労働者の働きも含めた利益(や将来的な想定利益)によって購入されたものなのだから、労働者への賃金や労働者雇用時間の軽減へも転換されるべきです。
多様化される労働層
健康的な18〜60歳の人たちが労働力になってきましたが、高齢者や障害者といった人達を労働力として活躍する機会が増やす必要があると考えられているようです。
しかし、金銭的な理由や本人たちの社会活動への意欲があっても彼らの体力や特性を考えられた内容で、労働契約が結ばれなければ長く労働力として留まることはできないです。
相手を探す余裕がない→結婚・子供の余裕なし
子育て世代も、個人としての時間や子供やパートナーとの時間をもてることが、結婚や子育てには重要です。
仕事に生命力を取られるぎて、出会って、心を通わせる暇もないのに結婚する気にさせる余裕がない労働環境なんて、もっと時間が取られる子育てにまで行くのはハードルが高いです。
親に余裕がなければ、子供を視て知る時間も、ケアもできない。
子供に対して夏休み明けに無理に学校へ行かなくてもいいという風潮になったのか、夏休み終わりと明けは新聞やニュースによく話題になっていました。
でもいくら記事に書かれていても、その子供の親が許さなければ、子供は学校へ行かなくてはいけない。親が記事やニュースを見て知って考えて自分の子供の行動や性質を受け入れることをしなければ、この記事は子供の救いにはならない。
そんな余裕もないような、労働を親がしていたら、どんなに叫ばれても不幸なことは起こります。