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今日、支えられた言葉

始業式が終わり
子どもたちとの日々も過ぎていく。
今年は何やかんや大変なクラスと言われたが
何やかんやリラックスして子供と対面できている時が多い。
リラックスしながら、春風の心地よさと底抜けに明るい子どもたちとの関わりをもてることがしあわせ。
とても楽しいし、この仕事をしていて良かったと思える。

春なら皆さんそう思っているかもしれないけど、4月はいい。

一方で、離席してしまう子、どこかに行ってしまう子、給食当番や掃除にいない子もいる。そんな時はリラックスできていないことがしばしばある笑。努めて感情に任せた指導やら何やらはしなかったが。

でも、感情のジェットコースターに乗り続けた一週間だった。
帰宅したらすぐ寝られた。
早起きして、1日の見通しをもっていた。
準備してもし尽くせれないほどの準備。
よく働いたーっという達成感はあるけども。

やっと今日、休日だ。
朝はSNSの情報や農業の本など読んでいた。
そんな中、
私の背中を支えてくれる言葉に出会った。

ちょっと難し目の言葉で綴られていたので
自分なりに噛み砕いてみた。
ますます、自分の現在にぴったりの言葉だった。
常に腹の中でモヤついていたことをすっきりとさせてくれた。


支配欲、保護欲、
それに基づいた行動は重荷に感じるようになる。
限界がくる。
削り続けるから。

(当番をしない子がいるとクラスの中で不平不満がたまるのでは。とか、このことを言っておかないと保護者から何か言われるのでは。とか、ちゃんとした先生と思われないのでは。とか、これを許すとあとあと大変になるのでは。とか。こういう予測は、大切な一面である子どもは分かるんだけど、このようなことをモチベーションに動くと、しんどい笑。)

一方で自由を与え、信じることは愛なので、重荷に感じることはない。
愛は、感動し良いと思うものを共有することで生まれる。

(言われみたらそうだ。結構ゆるしている時はこっちもリラックスしている。心にアソビがあるからから楽しさも享受できる。自ら感動した話を話すことは一体感を生むこともよく分かる。先生が自分自身の話をすると、子どもらはよく聞いてくれる。心地よい空間になる。)

自由を与え、信じることは進歩となる。
(クラスの中で面白いことが次々と現れ始める。係活動とか、自主学習とか、意見とか)
感動の共有は、共感になる。
(先生自身話以外にも、1人の子どもの話も素晴らしい一体感が生まれる。とっても好きな時間。ノート紹介とかも好き。ノートの書き方を真似させるという意図があることもあるけど、それ以上にあの空間を創出することが何よりも大好き。)

進歩の力、共感の力。

愛は、力を増し、人と人との間でのやりとりに価値を増す。

それは異質な他者との統一、統合に繋がっていく。

統合は気持ちがいいものだ。安心感もある。
幸福感もある。

つい、支配的になったり、保護的になったりするのもわかる。
不安だからなんだよなぁ。

大抵は平和で安全に無事に過ごしているではないか。
忘れがちだけど。
不幸な体験よりも
穏やかな日々の方がはるかに多い。

信じる勇気、いるなあ。

幸福であるという信頼こそが、
真の平和へと導くのだ。

自分自身の幸福を信じる勇気を持ち
心地よく過ごす。
それがクラスの進歩にも、共感力にも通じていくのだなぁと思う。

肩に力入って
腹の下がモヤついていた
自分の思考が見えました。

ありがとう。

もっとリラックスしていこう〜

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