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ポケモンGOの集客力を問う

〈SungerBook-カラーグラス19〉


私が初めてポケモンGOに触れたのは2018年のことかと思っています。特に、横須賀で仕事をしていた当時、ポケモンGOイベントが来るということで、その企画書が回付されてきて、当然ながら市がその受入れを決めた結果と想像されるに及び、私の中で軽い疑問が湧き上がってくるのを感じていたことが、思い出されます。

ウェルカム!ポケモンGO·····???

横須賀は、ジャズをはじめ音楽イベントが盛んな街というだけでなく、日本遺産に認定されたその謳い文句「日本近代化の躍動を体感できるまち」が簡潔に特色を言い得ていると感じています。浦賀には黒船来航があり、横須賀製鉄所や鎮守府を擁する三浦半島の要、重厚な歴史的堆積があり、それだけで十分に集客価値があります。

そもそもの開催経緯は知る由もありませんが、ナイアンティック社のポケモンGOイベントに浮かれているようです。開業から市と密接に連携してきた汐入の商業施設も、揉み手しつつ歓待という感じでしたが、内心私は、横須賀の地に1ミリも関係ないファクターの企画を受容するセンスにあきれていました。

任天堂が開発したポケモンを使い、GPS技術を組合せたスマホゲーム自体に私はほとんど関心がありません。私の興味はひとえにその集客力の質が気になっているのです。

その後、街を歩いていると、そのゲームに興じているらしい集団はすぐわかるようになりました。
なんとなく人溜まりがまばらにでき、何か不思議な空気が漂っています。ネットニュースで、この集団に対する否定的な情報が一時出回りましたが、大事になった事例には接していません。この異様な感覚が、どこからくるのかも含めて、私はポケモンGOの集客力について考えてみようとしています。

この映像がスマホから見えているとしてもARではない。現実に勾当台公園と隅櫓は同時に見えることはない。

Pokémon GO Fest 2024:仙台

今年ポケモンGOが仙台にやってきました。

一番町を歩いていると、たむろする不可解な群衆に「ひょっとして来たか?」と思っていると、告知のタブロイド判や、サンバイザーを配っているバイト嬢がおり、すぐそれは確定しました。
私は興味津々と「あなた市から雇われた方?」と聞くと肯定の答えが返ってきました。

この時点で、私は、なんとなく仙台市がポケモンGOを誘致したと思っています。その辺をそのバイト嬢に尋ねても埒があきませんので、質問は胸にしまっておきました。

タブロイド判を見ると、ルートの設計が杜の都をアピールする意図が感じられ、伊達政宗公像のある青葉城址を、しっかり組み込んでいました。のみならず、ポケモンの絵が描かれたマンホール蓋も用意されています。トレーナー達を喜ばせようとサービス精神全開と見ました。親子連れが、スマホにおさめようと「ポケふた」にかぶりついています。

県内35箇所にポケフタがあるという。この平面上には、ポケモンと地域行事との融合が見られる。

七夕の片鱗を味わってもらおうと、なんと季節はずれのミニ七夕も一部に飾られるという、入れ込みようでした。こうして、5月30日〜6月2日の4日間「杜の都で不思議な出会い」企画が敢行されたわけです。

主催者は誰か?

もともと商業施設の運営に携わってきた私は、集客力について問題意識を燻らせ続けてきました。
日本SC(ショッピングセンター)協会の月刊誌にSCJT(SC JAPAN TODAY)があります。通巻374号では、私が寄稿したある集客論が掲載されていて、その中で持論を述べています。そもそも商業施設は町の文脈と不可分であり、町の集客力と同義と言っていいでしょう。その要旨を以下引用しておきます。

 集客力の源泉は13の「場の価値」としてまとめられる。また、利用者側から見て、訪問動機は6つに整理することができる。
 この訪問動機を分析してみると、集客力を高めるには「享受」や「学習・研究」動機に沿った集客要素を考えることが重要だ。というのは、それが長期的集客力や広域的集客力のために、欠かせないファクターとなっているからである。
 集客力を高める、すなわち①反復集客力、②長期集客力、③広域集客力の3つの集客力を高めるには、一つには集客要素の多様性とともに、もう一つにはグローカルな集客価値を備えることが重要である。SCに装備されたグローカルな集客価値は、SCに長期集客力や広域集客力をもたらすものとなり得よう。(以下省略)

「SC JAPAN TODAY」2004.12

内容の核心に触れきれていませんが、「SC」は「町」と読み換えて頂いて差し支えありません。
端的に言ってこのような問題意識からみて、ポケモンGOがどんなものだろう、ということです。

このイベント後、市の観光課あたりに出向いてみようかと思ってネット検索していると、問合せコーナーがすぐ出てきたので、質問をぶつけてみました。二三日、間が空くかもしれないと高を括っていたら、翌日回答がありました。私の質問と、それに対する市の回答は以下の通りです。


①過去にポケモンGOイベントを行なったことはありますか?
回答:仙台で過去に開催されたことはありません。

②企画導入の意思決定主体は誰ですか?(市長、議会等)
回答:イベント主催者が仙台での開催を決定しました。

③導入決定の最大の理由は?
回答:都市規模、開催できる会場など、総合的に判断されたものと思われます。

④企画提案はどこ(企業名等)からありましたか?
回答:主催者以外からの提案はありません。

⑤今回実施結果についての評価は?(定量と定性両面から)
回答:68,000枚以上のチケットが購入されました。
土曜時点(5/30~6/1)で260,000人以上のトレーナーが仙台市内でプレイしています。
とのことです。
その経済効果は40~50億ほどと、ニュースでは報じられています。
主催者も経済効果など分析中とのことで、2~3か月後に発表される予定です。

⑥総費用概算はいくら?
回答:主催者から開示されておりません。

⑦史跡めぐりルート以外の、市や歴史などとの関わりは何か設けましたか?
回答:『ポケモンGO』の、仙台市内公式ルートが10コース登場しました。

回答は仙台市観光課より
ポケモンもポケモンGOも老若男女を魅了しているよう。

冒頭直後、「私は、なんとなく仙台市が誘致したものと思っています」とあるように、市のポジションを確認したいと思っていました。「市が誘致」の先入観からすると、よそよそしい回答ぶりとして感じられることから、市が誘致したのではないと推測しました。それが6月下旬のことで、私が他の優先事項に振り回されている間、このテーマを一時放擲せざるを得ず、8月に入って後、ようよう論考を軌道に乗せるにあたり、私の推測を裏づけるステップが抜けていることに気づき、再度問合せを入れた結果が下記の通りです。私の方からAとBの回答をあらかじめ提示して、答えやすくしておいたつもりです。

①仙台市開催の経緯実態
A:ナイアンティック社または、その代理店等から仙台市に提案があった。
B:仙台市の意思で誘致した。
回答/ 代理店等は一切絡んでいません。開催については、ナイアンテック社とすべて直接調整しています。
 仙台市長がアメリカを訪問した際、ナイアンテック社の重要人物(仙台市出身)と面会し、ポケモンGOフェスの開催について、お話があったようです。その後、数回の現場視察を経て、仙台での開催が決まりました。

②ポケモンGO企画での費用負担
A:企画に対する費用負担はなし。イベントスタッフ費用等一部市負担。
B:全額仙台市負担。
回答/ ポケモンGOフェス自体への市負担はありません。
 関連イベントとして、市が企画し実施したものに関しては、市負担で行いました。

回答は仙台市観光課より

上記の、市への問合せ回答を通じてわかった要点は、主催者はナイアンティック社であり、同社が仙台市へポケモンGOイベントをプロモートしたことが明らかになりました。市が誘致したものではないということであり、私の思い込みは否定されたわけです。

日本中から、世界中から、大量集客できると皮算用し、七夕前に新たな経済効果策を目論んだものと推測されます。それは誰か?ナイアンティック社であり、また仙台市に他なりません。

集客策のクオリティという視点

ポケモンGOイベントは、私に「集客策のクオリティ」の視点をもたらしました。集客力に関して「場の価値」や「訪問動機」などを軸に分析・検討している立場からすると、何か危うい感覚に襲われるのです。

本論の文脈では「ポケモンGOイベント」というワードを用いています。
「ポケモンGO」自体が、デジタルゲームやロールプレイイングではその特徴が語りきれないようで、GPS位置情報ゲームや位置情報ゲームアプリと言った方が、核心を突いているように思われます。つまり、そもそもロケーションを読み込んだゲーム設計が為されているわけです。ここで「スポンサードロケーション」の概念を持ち出せばポケモンGOのビジネスモデルの特徴が見えてこようと思われます。仙台市は無償のスポンサードだったということでしょう。開催地の提供ということです。

ポケモンGOを契機に来仙する見込み客は、
ポケモンGOなしに来仙する顧客になり得るだろうか?

「ポケモンGOイベント」とは、場や会場や開催地を想起させるニュアンスが、その特性に即していて好ましい。その上でまとめるならば、ポケモンGOとは、ポケモンキャラクターを使った、デジタル空間とリアル世界とを結びつけたゲームということになりましょう。

ここで、一度念を押しておきたいのが、私はポケモンGO自体についてクリティークしたいわけではありません。「集客策のクオリティ」とは、どちらかというと集客策を講じる側、場を提供する側を念頭に置いています。

集客策を企画する(招く)側は、主に経済効果を念頭に、町の活性化を目論見ます。できるだけ多くの集客がめざされるのであって、集客力ありと見ればそのクオリティまで検証する余地や余裕は、なかなかないでしょう。しかし、新たな技術によって、非現実と現実を統合するという、革命的な人工遊戯が発明されています。新規ビジネスを仕掛ける側は自己拡張の論理で突っ走っても、それを受け入れる側は、経済効果の面だけに捕われて重要な点をブラインドしてしまうような、微妙な問題を孕んでいるような気がします。

何が問題か

では、ポケモンGOイベントの何が問題だというのでしょうか。私の見るところではイシュー2点が考えられます。

①非公共性

ポケモンGOのトレーナーたちが街で屯しているところに遭遇すると、私は率直に「きしょい」と感じます。その場を過ぎてしまえばすぐ忘れてしまう類いのことではありますが、どうもこれは私だけの感想でもないようです。ネットを見ていると、そのような指摘を目にするからです。

「きしょい」は関西芸人が使った言葉として覚えています。耳新しさと、なんとも言えない語感が本論のこの場面で用いることに、似つかわしいと感じられます。「異様な感じ」の形容詞化といったところでしょう。

遭遇して思わず感じるその異様さについて、どう説明したら伝わるだろうと考えて、もっとも似たような事例として思い至った例えは、「発情した集団」です。しかし、これでは露骨過ぎるので「没頭する集団」、少し噛み砕いて「公の場で閉鎖的に没頭する人々」というあたりか、に至りました。

恋人同士は、特に仲よくなりかけについては、磁場が構成されます。二人が引きつけ合う磁場です。お互いが欲情していて、その磁力の発散は周囲にすぐわかります。周囲を気にしていられないほど、相手に惹きつけられているのです。そういうカップルは電車の中や、街なかで見かけることがあるものです。その磁場を感じると、ちょっと目をそむけたくなります。空気が異質なのです。同じ空間内にいるのに、明らかに違う空気の中にいる二人なわけです。

以下、例えとして表現しますが、トレーナーたちはポケモンGOに没頭しているのです。デジタル空間内に登場するさまざまなポケモンを攻撃しようとしたり、捕まえようとしたり、無我夢中です。どっぷりその境地に入りこんでいるのであって、付近を往来する現実世界の通行人が眼中にあるわけもありません。トレーナーは単独のこともあれば、複数や、家族づれだったりもするようです。自分のスマホ内で展開する戦闘を、リアル世界を背景としてアクションすることが、楽しくて、おもしろくてしようがないのでしょう。

このように、街なかという公共の場で、おのれの欲求と格闘するグループ集団の群れの点在。これが、現実の空気に生きている生活者たちにとって、「きしょい」ものに感じるのは、至極まともな感覚なのではないでしょうか。ポケモンGOに勤しむ人たちが、異様な集団に見えてしまうのは、こういうことではないか、と私は思っています。

これを絵画とすればお題は「没頭する人々」。
作者は保毛門豪か?

この意味合いでは、ポケモンGOには公共性がない、と言わざるを得ません。私がポケモンに興味がないからといって、ポケモン推しのファン達を差別しているわけではありません。単に興味を持てないだけです。

ただし、仙台七北田公園をロケーションにして行なわれたポケモンGOイベントについては、市街での場合とは違って、半開放的に感じられます。ところが「公園」というぐらいですからオープンエリアではあるのです。野球場やサッカー場を想起すればわかるように、一つの公園をポケモンGOイベント貸切会場としてしまえば、問題が生じようがありません。しかし、公園という公共の場である以上、ポケモンGOと関わりのない人々も入ってくるわけです。

ここで東京の世田谷公園でのポケモンGOイベントの事例について、専門家の見立てと対策提案を紹介しておきましょう。2016年はポケモンGOのリリースの年であり、コラムは2017年月〈登録ランドスケープアーキテクト、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科/環境情報学部教授〉石川初氏によるものです。

公園緑地課の担当の方に聞いたところ、世田谷公園が「ミニリュウの巣」として有名になり、プレイヤーが殺到し始めてからすぐに、現地の公園管理事務所や区の担当部署、区長へのホットラインなどに、ジョギングコースにポケモンGOのプレイヤーが入り込んでくるためにぶつかって危ない、自由に散歩もできない、コンビニの弁当のゴミが散乱している、違法駐車があるなど、一日数十件の苦情が来るようになったという。

現象面の紹介部分です。

公園のなかにポケモンGO用のルートがつくられるとか、公園の利用を時間で区切って、夜間や早朝などに「ポケモンGOフリーアワー」を設けるとか、そういう工夫が生まれたりしたら面白かったのに。

実施方法を模索されています。

となっています。

私の問題意識から、もっとも興味深く読んだのは
以下の箇所です。

世田谷公園の光景が異様に映ったのは、公園という施設の土地利用と、ポケモンGOのプレイヤーのふるまいとのあいだに脈絡がなかったからである。噴水も木陰も、園路や広場のデザインも、公園が提供している施設はどれひとつとして、ゲームのために世田谷公園に殺到した人たちがそこに来る理由ではなかった。〜(本記事筆者中略〜)世田谷公園は、公園の文脈と関係のない事情を抱えた人たちがいきなり降ってくるという目にあったのだ。

以上3 ブロックの引用は、
石川初氏「『ポケモンGO』が拓いたかもしれない公園の可能性とはなんでしょうか?」「10+1WEBsite」2017より

トレーナーたちが、自分の部屋で、あるいは特定のクローズドな空間内で、楽しんでもらうなら私が感じるような感想は出てこないでしょう。言ってみれば、ポケモンGOとは、ポケモンというアイドルに焦がれたオタクであり、この現象はサブカルチャーと言えるものかもしれません。

②訪問動機のゲーム支配

集客価値は、その町の固有のファクターによって形成されるものです。お祭りや行事など伝統や歴史に支えられて、その土地の文化として魅力が形成されます。歴史的なもの以外でも、スポーツや音楽など、現代のイベントも多くの人を集めます。後者については、開催地がクローズドになっていることにお気づきください。

地元の球団といえど、野球はこの中でしかできないし。

仙台で言うなら、野球は東北楽天ゴールデンイーグルスが楽天モバイルパーク宮城、サッカーはベガルタ仙台のユアテックスタジアム仙台となっています。音楽イベントも、それぞれの会場で行なわれることは言うまでもありません。ただし、定禅寺通りや一番町通りで野外コンサートとして行なわれる場合があります。野外での半開放的イベントは特殊なケースといえ、その楽曲やグループに興味があれば立ち止まり、それがない通行人は素通りするという具合です。

その他集客施設という捉え方をすれば、青葉城址や瑞鳳殿や大崎八幡宮などがあげられるでしょう。こうなると名所旧跡となり、一気に歴史的要素が入ってきます。伝統的な集客施設と見ることもでき、広域集客や長期集客に資するものとなっています。集客施設の古典であり、王道といえるかもしれません。そもそもは慰霊や祭礼の生活行事から発生していることであり、結果として人々の集まりを招いていることではあります。

これらとポケモンGOを比較すると明確になりますが、ポケモンGOの開催地として仙台が選ばれる理由に、そもそもの仙台の保有する集客力は関係なく、二次的なものに過ぎません。仙台の土地柄とポケモンGOを有機的に結びつける、そもそもの蓋然性は皆無というべきでしょう。イベント開催時のタブロイド判の表記を見ても「仙台市内をルート機能で歩こう」の見出しに添えられた表現の、「ポケモンと魅力を発見!」「楽しさをプラス!!」とは、そもそも、この地に興味があってやって来る来街者ではないことを、正直に吐露しての呼びかけとなっています。

仙台に集まってくるトレーナーたちは、ポケモンを「追っかけ」て、ポケモンゲームによって人工的に動機づけられているに過ぎません。たまたまナイアンティック社がロケーションとして選択した仙台は、ゲーム中の背景に過ぎないわけです。
冒頭で、私が横須賀の地に1ミリも関係ないと感じたこととは、こういうことになります。

今、全世界で、日本のあちこちで、ゲーマーたちが勃発しています。ゲームによって動機づけられた人たちは、観光地であっても本質的には観光二の次で、ホテルに宿泊したり、飲食店で食事したり、航空機を利用していることでしょう。

ただし、ポケモンGOイベントを行ないやすい環境としての街という選択基準はあるでしょう。渋谷や新宿や京都ではナイアンティック社が提案しにくいものがあるかもしれません。そういう意味では、仙台という地方都市に白羽の矢が立った可能性があります。ポケモンGOイベントを実施する際の好ましい開催条件は、ナイアンティック社は十分に研究していることでしょう。

仙台でのポケモンGOで、来街者、参加者は十分に楽しんだものと思われます。私は、そのことについて何も言っていません。ひとえに私は、開催を受け入れた、容認した、あるいは説得された側を問うています。

可能性を拓く道はあるか

ポケモンGOイベントについて否定的にばかり見てきたようですが、私は大いに期待している方向性があります。この着想は4年前に、私がエッセイ「萌え町紀行」シリーズの金沢八景編「さよならは京急に乗って」の中で、すでに触れたことです。金沢八景とは、歌川広重による八つの版画絵が、そのまま地名となったものです。すなわち

内川暮雪(うちかわのぼせつ)
乙艫帰帆(おっとものきはん)
小泉夜雨(こいずみのやう)
称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
洲崎晴嵐(すさきのせいらん)
瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)
野島汐照(のじまのせきしょう)
平潟落雁(ひらかたのらくがん)

しかし、これらは版画絵のお題に見合う現実のロケーションが存在しているわけではありません。駅のホー厶の案内板にその八景の名称が記載されているので、私はひょっとして現代の特定場所に行けば、何か残っているのではないかと心底思ったものです。八つのその地をリアルに確認したい衝動に駆られたのです。
(本文最下段にこのエッセイのリンクを貼っておきます。)

「史跡 金沢八景」とあれば、右の実在名所と同じように
その実在を期待させる。これは誇大告知。

そこで私の中に生まれた発想は、特定のエリアまで現実に行けば、仮想空間内に八景の当時の再現風景なり、版画絵が現れるようにできないか、というものです。これは、京急電鉄とナイアンティック社とのコラボでソフトを開発すればできることではないか、とイマジネーションが広がりました。コスト的な問題を脇に置きますが、位置情報と歴史的事実を結びつけることにより、有機的必然性が生まれるわけです。これは、デジタルゲームの背景でしかない現実と架空のポケモンという人工的な組合せではなく、歴史ロマンの再現を臨場感をもって体感できるものとならないか、と期待しているわけです。「タイムトラベルGO」とでも、ネーミングしましょうか。

仙台の場合で言えば、今、青葉城址には伊達政宗公像と、青葉神社があるとともに文字通り城址となっているだけです。そこを、実際に青葉城址に行けばスマホ内に青葉城が再現したり、伊達政宗の動画が流れるというようなアイデアです。ここで私が申し上げたいのは、位置情報と連結させた仮想歴史再現なら、ポケモンGOイベントの集客策の問題を回避できるという一試案です。ガイドはポケモンがやったら楽しいかもしれません。

スポンサードロケーションの壁

ポケモンGOをわが国でいち早く導入したショップはマクドナルドかと思います。2016年7月22日からポケモンGOを開始することをリリースしています。しかし、2020年10月16日にコラボを終了しています。マクドナルドはその理由を明確にしていないようですが、コロナの影響もあったのかもしれません。全国のマクドナルドに行けば、訪店した客のスマホには「ジム」や「ポケストップ」が表示されていたわけです。マクドナルドがナイアンティック社に対して多額のスポンサー料を支払ってこれが行なわれたようです。

もし、今年のポケモンGOイベントに対して、仙台市が高評価することになった場合、つまり経済効果だけで評価する場合、これと同様の効果を期する時、次回も無償のスポンサードは可能なのでしょうか。また、ポケモンやポケモンGOは未来永劫人気は維持されるものでしょうか。
(この記事を書いているうちに、ナイアンティック社の結果レポートがアップされてきました。誇張すれば欣喜雀躍の感があります。問題は市側の認識ですが…)

ここで私が申し上げたいのは、この科学技術による先端的イベントの経済効果だけに目を奪われることは、町の歴史や文化へのブラインド現象をもたらす恐れを懸念しているのです。

集客策導入のクライテリア

都市や町が、革新的な新しい集客策を他から持ち込んだ場合、カンフル剤として一時的な効果をもたらされても、拒絶反応や弊害を招く恐れがあります。効果があるほど反復したくなるわけですか、その持続可能性が問題にさらされるのではないか、と懸念します。

ここで、他から新しく集客策を導入する場合の尺度を検討してみたいと思います。試案になります。

①それは有機的に連結し、反復して持続できるものか

集客策自体は単日や数日の開催でかまいませんが、長い年月その都市の個性と有機的関連性を持ちつつ、持続定着できるかを問いたいのです。際物的な1回限りの集客策ではなく、当該都市の確かな集客力に育てあげたいわけです。集客策といえど、シティアイデンティティが求められます。

青葉城址を訪れた際、スマホ内に伊達政宗が出現して
くれたらタイム・トラベルになる。

②それは公共性を毀損しないか(開かれているか、他の住民に影響しないか)

参加者を限定するような集客策であれば、始めからクローズドな会場設定を行えば問題はないでしょう。文化的な指向性のある集客策であれば、都市のイメージ形成に資するものとなりましょう。

ポケモンGOのデジタル技術を駆使して、位置情報と連動させて、新規歴史学習等のツールを観光時の補助手段として開発・導入することも、理論的にはできそうです。この時、ポケモンGOとしてのゲーム性は捨てなくてはなりません。

③それは既存の他の集客策を毀損したり、バッティングしないか

すでに保有している、集客力となり得ている祭りやイベントは、都市のソフトパワーと言うべきものです。長い年月をかけて育て上げてきた資産ともいえます。新規に導入する集客策が、なんらかの悪しき影響を与えることは回避しなければなりません。

④それはその都市のめざす将来ビジョンに適合するか 

国でいえば国家観にあたるものが、都市にもあると考えられます。「都市観」とは聞き慣れませんので、シティアイデンティティの方が、わかりやすいかもしれません。これは、首長が替わったら変化するものではなく、歴史・伝統や、その都市の個性イメージに沿ったものであるべきと考えます。当然ながら、国家観との整合性が求められます。

スピンオフGO

ここで、この④に関連して、一つ具体的なエピソードがあります。①とも関連する性格があります。私が横須賀で仕事していたことは触れましたが、当時、某市議が横須賀芸術劇場廃止案をぶち上げていました。維持運営費のコスト負担を他に回すべし、と言う主張でした。これに対して私は
それに反対する意見をまとめ本人に送付したのです。当然ながら、本稿の文脈での集客施設としての芸術劇場という観点をクローズアップするものです。

横須賀芸術劇場。その後、どうなったのかしらん。

当時の私の意見の本音にエビデンスはなく、明確には表現していませんが、背景には、ブームとは言いませんが「サイレント・インベージョン」論が出回っていました。軍港のある横須賀の地にいたこともあり、また、海からすぐ急傾斜の土地柄にあって中国人が高台のアパートから港を偵察しているなどといった情報も流れていました。つまり、防衛意識が過敏になっていた私は、その市議に指摘はしていませんが、市議会の分断工作を芸劇廃止で煽っていた恐れを持っていたのです。それをC国から工作されているのではないか、と。今だから語っています。
(その後、その地を離れていて、芸劇の存亡問題について、フォローはしていません。)

文化施設の設置も集客策として重要ですが、半永久的に継続できるビジョンなくして造るべきものではないでしょう。市議に対する私の論旨は、当初から長期持続のプランで始められたというものでした。市議会の分断こそ避けなければという私の意見に、市議は国防の観点は国がやるべきことであって、地方自治体議員の役割ではない、と素人を諭す論調で回答を寄こしたのです。私は、国会議員との違いはあるにせよ、職務の役割分担論でかたづける、軍港の町の市議にあるまじき意識に呆れ返っていました。

文化施設創設に、経済、国防が絡んだエピソードということです。

エピソードついでにもう一つ。横須賀には「軍港めぐり船」という、遊覧船が航行しています。かなり人気で相当の集客力となっています。私が横須賀にいた数年前で10周年でしたから、大したものです。今では横須賀の名物です。この運行にあたっては、この遊覧船を発着させる商業施設と、船の運営会社(テナント)と、横須賀市が合議しています。私は開いた口が塞がらないとはこのこと、と思っていました。軍港を巡って、その地形や、米軍の潜水艦が停泊しているようすを、ガイドが丁寧に解説してくれます。これってあり、ですか?

多くの来街客を乗せ、軍港めぐり船の出発!

乗船客はフリーです。国籍を問いません。毎年春になると米軍基地内を見学できるイベントがありますが、その際には身分証明書提示、携帯預かりの厳しさとは比べものになりません。もちろん、日米地位協定が、この軍港めぐり船を容認したということでしょうが、素人には全く理解できません。私は、横須賀市の見識を今でも疑問視しています。市の集客になるから、アメリカさんお墨付きだから、でOKなのでしょう。同じ地に、アメリカンネイビーの隣りに、海上自衛隊横須賀地方総監部もありますが、防衛省も了解なのでしょう。

地政学的パワーバランスからすれば問題ない、というあたりなのでしょうか?台湾有事の際、横須賀港はクローズアップされるでしょうに、素人にはこの地でポケモンGOを開催する神経よりも不可解です。「ジャパンGO」はすでにセットされているのでしょうか。

軍港における海上集客船がまかり通っています。
防衛上の危機感皆無のおめでたい都市というのは言い過ぎでしょうか。ただ、これは特定の町の問題ではなく、自衛隊基地の脇の土地を外国人に売るなどなど日本じゅうの国防問題につながっています。

既存の集客策のメンテナンス

今後新たな集客策を導入する際の注意事項を述べましたが、すでに保有している集客力の手入れ、テコ入れも、欠かせない観点かと思います。 

復興折り鶴2022。
このデザイン性だけに感動してはいけない。

例えば、仙台なら七夕を取り上げてみましょう。
私は、一昨年40数年ぶりにこの地に帰ってきましたが、一番町を歩いていて七夕祭り経由で、一気に子供の頃にタイムスリップしていました。昔、三越近くに「幸福堂」というベーカリーがあって、その時に感じた感覚が再現してきます。西欧的な食文化のモダンさと、その店名の夢のあるネーミングが、懐かしい。仙台が政令都市になるずっと前の話、日本が高度成長へ駆け上がろうとしている時期のことです。

しかし、私は落胆を禁じえませんでした。それは、広瀬通りを過ぎて三越方面に歩を進めると、商店街の飾りつけが数店舗歯抜けだったのです。(今年はそれを目視できませんでしたが、改善されていないことを知っています。)
あり得ないことが起きている、と私は落胆していました。仙台の集客力の要、東京のチェーン店の経営者たちが「リトル東京」と評価する街が、文化・伝統を軽んじる商売人たちに侵食されているではないですか。出店者確保のために、伝統を毀損している恥ずかしい志です。伊達百万石の歴史を踏みにじっている、経営者たち。

もし一番町を南北に展開するショッピングセンターと捉えるなら、デベロッパー不在と言われても仕方がないケースです。七夕飾りを仙台アドバタイジングの統一実施と見立てる時、不参加を許容する神経が疑われます。おそらく、その仕切りは商店組合あたりの範疇なのでしょう。行政が口出しできる部類ではないもの、と忖度しています。逆に、そこです。そこをベンチマークとして対策をロジカルに積み上げることが必要ではないか、と思うわけです。問題解決への糸口探しが課題でしょう。そこに行政が関与せずしてどうする?町づくりは、計画的にプロデュースすべき時代です。ルーツを辿れば奈良時代から続いている伝統的な祭礼であり、かつ集客策でもある七夕祭りがほつれ出す、その糸口にならないことを願うばかりです。

復興折り鶴2023。
子供たちの手作りの鶴の集積が全体を構成している。2011年の鎮魂と未来への祈りをこめて、ここには
七夕飾りの脱構築があるとみる。

ここは、シンボリックに七夕だけを取り上げることにします。既存の集客策から飛躍して仙台の集客ポテンシャル課題と論点を広げれば、政治的なイシューにも足を踏み入れざるを得ません。ポケモンGOを契機とした「集客論考」としては、ここらでゲームオーバーかもしれません。



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