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搬入という仕事

昨日今日は木場のギャラリーに搬入の仕事。

自宅の埼玉某所から東京江東区木場までは結構遠い。
遠いのだが、そこは痩せても枯れても首都圏だ。
やはり電車で行くのが一番速いし、便利でもある。

別に都会自慢ではないが、そうすると目的地まで複数の経路があって、検索すると出発時間次第でこの路線が速いとか、あっちの電車が安いぞとか、いろいろ言ってくるのが煩わしい。

余談だが、なんで都内の地下鉄というのは、乗り換えで平気で隣の駅まで歩かせるのか?
あるいは同じ駅のふりをして、延々地下道を5分も10分も移動させるのは、詐欺的だとしか言いようがない。

というわけで、結局多少時間はかかっても一番乗り換えの少ない、なおかつ駅で歩かされない経路を選ぶのだが、それで自宅からギャラリーまで1時間40分ほどかかった。

搬入以前にちょっと疲れてしまったのだが、まぁこれもお仕事だ。

                       

さて、搬入の仕事というのは一種ギャンブルである。
作品を会場に運び込んだらそれで終わりということもたまにはあって、その場合ただの肉体労働なので大いに気が楽だなのだが、大抵はそんなにうまくはいかずに、そこから展示作業の手伝いということになる。

こうなるとちょっと一筋縄ではいかなくなるのである。

なにしろ人様の作品だからぞんざいに扱って傷でもつけようものなら大問題だ。
もちろん、だから私のような多少なりとも美術に心得のある人間が駆り出されるのだが、事はそれで収まらない。

作家というのは、大抵なんらかのこだわりを持つ人たちで、それは作品そのものに対してはもちろんなのだが、展示においてはその配置だったり、ライトの当て方だったりに発揮されるからだ。

当たり前の話だが、やはり自分の作品はベストの状態で鑑賞して欲しいものだ。
そのためには、ライトの位置調節で脚立を何十回と登り降りするし、どんなに重い作品もギャラリーのなかを隅々まで動かし、苦労して高さを揃えて掛けた額も、全部やり直したりする。

もちろん手伝いの我々が、である。(まぁそれなりのお手当はいただくわけなので、そこに文句は言わない)

ただ搬入を頼まれた時点で、相手の作家さんの普段の様子を思い浮かべ、ある程度の覚悟はする。

すなわち、彼らの我の強さとか、優柔不断さなんかを鑑みて、作業にあたるこちらが疲れ切っていても、冷酷にやり直しを命じたり、あるいはいくつものプランから、一向に決定案が出せずに時間を浪費したり、という困った事態を引き起こさないか、そんなことを考えるのである。

もちろん困ったクライアントはできるだけ避けたいのだが、まぁ、だいたい相手は普段からなぁなぁの知り合い同士である。

そこで断らずに、覚悟だけするのである。

                       

さて、今日の作家さんも前からの知り合いで、柔らかい性格の芯には、やはり作家としてのこだわりも感じていたし、作品自体の設置の複雑さもあって、これは長期戦になるやもしれないと、気合を入れて現場入りしたのだが、思いのほかスムーズで、ストレスのない作業であった。

作家さんご自身にきちんと気を使っていただいたことが大きかったと思う。
いつもこうだと大変嬉しい。
ギャンブルに勝った気分である。


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