ポルトガルスタイル
リスボンにジェロニモス修道院という、世界遺産がある。
その巨大な図体を過剰なまでにまめまめしい装飾で埋め尽くした、ある種、異様な建築である。
特に中庭の回廊をめぐる石柱の一本一本に、これでもかと刻み込まれたレリーフ彫刻は、見る者を不安にさせること間違いない。
何というか、部分と全体のバランスに均衡が取れておらず、鑑賞者はどこに注目すれば良いのかわからなくなるのである。
ポルトガルが、その歴史上ただ一度だけ世界をリードし、光り輝いていた「大航海時代」
その栄華に徒花のように咲いたのが、マヌエル様式である。
わたしは建築様式というより、装飾の様式だと考えているのだが、この豊かな時代に王であった、マヌエル1世に治世に広がったものだ。
イスラムやインドの流れを汲む尖塔を取り入れ、エキゾチックな文物をモチーフにした装飾で埋め尽くすという、時代の空気そのものの建築。
多分に王の趣味だったのではないかと思うが、勅命でこの様式を国内全土の建物に適用したというから、念が入っている。
というわけで、当時のポルトガルは有り余る富を惜しげもなく注ぎ込み、いくつもの奇妙な建築を残した。
もう一例挙げるならば、王室の夏の離宮であったシントラ宮殿だろう。
古今の異なる様式の結合体のような宮殿は、元々あった建物に例のマヌエル1世が再装飾を試みたために、他に類似するものがない、不思議な建築となっている。
内部は装飾の博物館的な趣で、統一感というものが有るような無いような、これまたどことなく気持ちが落ち着かなくなる佇まいである。
思うに、ポルトガルという国は大航海時代に広く世界から持ち込んだものを、咀嚼し自分のものにする前に、世界の一線から没落してしまったのであろう。
なので壮大な実験のような建物だけが残った。
実はわたしは密かにここに、日本のバブル時代の狂乱を重ねている。
隅田川のうんこビルなどは、当時から「なぜあれを建てた?」という代物だが、今となっては不思議に捨てがたい存在感がある。
今後も二度と作られないとわかる意匠だから、唯一無二の力強さがあるのではないか。
ポルトガルの名誉のために言うならば、その後この国は長い時間をかけて、マヌエル様式を消化して、今現在の「味のある」ポルトガル風の景色を作り出している。
重厚ではないが趣があり、軽やかだが落ち着いている、地味ではあるがどこか楽しい。
ポルトガルの隆盛が100年、日本のバブルは10年。
世界の西の端と東の端で通じるものもあるといいのだが。
自分の作品が細部にばかりこだわり、往々にして全体が見えなくなる、という文章を書こうと思ったのだが、枕のポルトガル話に終始してしまった。
まぁわたしの作品よりポルトガルの方が面白いから、良しとしよう。