父の話(3)
少なくとも昭和16年、戦争が始まるまでは、父は穏やかに暮らしていたらしい。
わたしが父親から聞いた、そのころの数少ない思い出話のひとつが、近所の悪いお兄さんにいわれて、本宅からタバコを持ち出して怒られた、というものである。
もしかしたら、少しいいとこの坊ちゃんくらいの扱いはされていたのかもしれない。
少なくとも食うに困らない環境と、優しい母と仲の良い兄弟姉妹がいた。
余談ながら、父はこのころには、ちょっとした文才を発揮しはじめていたようで、参観日に「B29を見ると、石を投げつけたくなります」といった作文を読んで、拍手喝采を浴びたと自慢したことがある。
父の戸籍を見ると当時世田谷区あたりにいたらしいのだが、さて彼が本当にB29を見たのかはわからない。
だが、太平洋戦争は、祖父にとっては致命的だったようだ。
なにしろ、祖父の商っていたのは、敵国の菓子である。
4年に渡る戦争のうちには、だんだん世間の風向きは悪くなるし、そのうち小麦粉が入らなくなる。
閉めた支店もあったが、東京大空襲で燃えてしまった店もあると聞く。
祖父はすべてを失ってしまうのだ。
そして不幸なことに終戦を待たずに祖母が亡くなってしまう。
詳細はわからない。
手元に一枚の写真もないが、たいへん美しい人だったと、何人かの親戚から聞いた。
なにしろ戒名に容顔院とつくくらいである。
祖母と、父が娶った母がよく似ているという話しも聞いた。
すこし出来すぎていると思わなくもない。
ただ、父の人生はここから暗転していく。