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横目で見るオリンピック

前の、すなわち本邦で行われたオリンピックがあまりの体たらくだったので、もともと離れかけた心がすっかり冷めてしまった。
競技はほとんど見ていない。

それでもセレモニーの演出には興味があって、開会式だけはリアルタイムで見た。
元々の女性演出家が排除された経緯などもネットで見聞きしていたので、どんなものになったのかと見届けようと思ったのだ。
結果、大したメッセージもなく、木遣だの歌舞伎だのゲーム音楽だの、俺でも考えつくわいといった内容、軽い演出で、この大会によせる期待を初手で裏切られてしまった。

近年の日本の悪いところと、オリンピックの悪いところが合わせ技で、その上コロナ禍という厄災も加わって、高度成長期育ちの私の素朴な五輪信仰も吹っ飛んだ形だった。

で、あっという間にまたオリンピックだ。
パリとは時差が厳しいし、競技にも思い入れがない。

ただまぁ、一応痩せても枯れても芸術の国、おフランスの大会である。
開会式だけはと、見ることにした(もちろん録画だが)。

競技場を使わないという野心的な形式は、必ずしも成功したとは思わないが、同時多発的にあちこちでいろんなことをやっていて、飽きないといえば飽きない。
毎回長くて嫌になってしまう選手入場を、テレビ的にちょっと写しては、他に浮気してまた戻す、みたいに処理したのは良かったのではないか。

選手団の大小に関わらず、映る時間にそんなに差がないというのもよろしい。
日本選手団の映像も、多分日本独自のカメラで足されていたと思うけれど、ベースとなる国際映像では一瞬のことで、それでいいと思った。

ただ現地で生で見た人や、当の選手たちはいつにまして退屈だったかもしれない、広域で散発的なパフォーマンスと過去撮りの映像では、現地鑑賞よりリビングで見てくれ、ということかもしれない。

もう一つ感じたのは、ポリコレの話だ。
ぞろぞろ出てくる聖火ランナーは、多分(フランス基準の)有名アスリートたちだったが、男女人種年齢など属性別の参加者数の配慮は行き届いていたように思った。ただアジア系はいなかったように思うが、見落としたか。
そういうのは、表面的なことだと言われるかもしれないが、表面的なことが大切なのだ。
特にフランス国籍以外のアスリートが多数参加していたのは、なるほどなと思った。
TOKYOの王、長嶋、松井トリオよりだいぶ先進的だろう。

さて、あとは多分朝のニュースで結果をなぞるだけだとは思うが、それでも参加各位には頑張ってほしい。

追記
これ、共同制作なのか、生放送だと違ったのかわからないのだけど、テレ朝のコメンテーターたちは最悪だ。
ウクライナのことにうっすらと触れる一方ロシア選手団がなぜいないのか言わないし、イスラエルとパレスチナについては完全に無視した。
セリーナ・ウィリアムズのことが誰だかわからない、松岡修造ってなんなのだ。

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