父の話(2)
父は妾の子であった。
常々それを公言していたわけではない。
むしろ子どもたちに対して、自分の家族の話しをすることはほとんどなかった。
ただ、他人にはそうでもなかったらしく、父が自分が連れてきた客に対して、さほど重い感じでもなく、自分は妾の子だと話すのを聞いたことがある。
妾なんて令和にはなかなか聞かない言葉だが、父の生まれたのは昭和12年だ。
世の中の常識はだいぶ違っていたのだろう。
父の父、つまりわたしの祖父は、大正時代に渡米して、のちに東京に洋菓子や喫茶店をいくつも経営した、立志伝上の人物である。
鹿児島の貧農出身で、まさに苦学と努力の人だったらしい。
ただ、それだけに強引なところもあったようで、従業員で、自身の運転手の許嫁でもあった女性に手をつける。
それが父の母である。
もちろん祖父には正妻がいて、祖母には別宅をあてがい、その後6人も子をなしたというのだから、いやはやなんとも。
というわけで、祖母は絵に描いたような囲い者なのである。
ただ今の感覚では、なかなか理解し難い話だが、父はちゃんと祖父の戸籍に入っていて、子どもころは本宅と別宅を、日常的に往き来していたらしいし、許嫁を奪われた運転手は、結局その妹と結婚して、父たち兄弟の世話を見てくれたりしている。
このあたりの事情は、実はその運転手の息子、つまり父の従兄弟から聞かされたものだから、間違ってはいないと思う。
いずれにしても父は、なかなか不穏な運命を背負って生まれてきたし、それを自分の子どもたちには話さないくらいの屈託は抱えていた。
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