父親がサンタクロース
子供がいない夫婦なので、毎年この時期に軽くモヤモヤすることがある。
つまり「サンタさんいくつまで信じるのか」問題だ。
あるいは「信じさせるのか」問題と言ってもよい。
1962年生まれのわたしは、自分の子供の頃を思い出してみても、サンタクロースの実在を信じている子供などどこにもいなかった。
理由は明快で、そもそも、60年代のクリスマスは、お父さんたちが変な三角帽子をかぶってキャバレー(キャバクラではない)で酔っぱらう日であって、クリスマス自体がまだまだ家庭に浸透していなかったわけだ。
もちろんそれでもこの日、各家庭では何とはなくごちそうを並べて、なけなしのお金でバタークリームの甘ったるいケーキを買ったりもしていた。
しかし、そのケーキに乗っている砂糖細工のツリーやらトナカイやらをめぐって兄弟間の抗争が勃発したり、あるいはシャンペンと称するただのソーダ水の瓶を開ける時に、飛ばした栓で窓ガラスにヒビを入れたり、まぁ色々な悲喜劇が繰り広げられたわけで、そんな状態で、サンタもへったくれもなかったのである。
さらに我が家に限って言えば、毎度父親が「子沢山のタグチ家ではクリスマスなどクルシミマスだ」という愚にもつかない演説をする日であって、良い子にしていたからサンタさんがプレゼントをくれるなどという物語が入り込む余地はなかった。(兄に至っては12月26日生まれであったために、誕生日とクリスマスを一緒くたにされて、クリスマスプレゼントというもの自体存在しなかった)
なので毎年この時期、ネットで「うちの子はサンタの正体に気付いてしまった」とか「サンタを信じさせるために、しかじかの手を打ちました」などという書き込みを目にするたび、そのサンタクロースの実在を信じさせるための熱意というのは、いったいどこからなんの目的を持って発せられるのか、全く理解できないのである。
まぁ思うに、我が子にはいつまでも無垢であってほしいという、親心なのだろうが、だとしてもせいぜい4〜5歳くらいまで卒業させておかないと、かえっておかしなことになりはしないか?
世の中には数多のファンタジーがあり、それと現実世界は、成長するに従って、子供の中で徐々に分化していくものだ。
それが大人になるということで、
「今年のクリスマスにはこれがほしい」
「いやそんな高いものは買ってあげられない」
「それじゃ、クリスマスは我慢するからお年玉と合わせて・・」
みたいな会話を親としながら育った我々世代の心が汚れていたかといえば、たぶんそんなことはない。
もちろん信じている子供に、わざわざサンタクロースの正体を教える必要もあるまいが、だからといって真実を知ることを阻止する権利など親にはないのではなかろうか。
さて21世紀の現代、クリスマスはグッとカジュアルになった。
ここに至るまでは、例えばバブルの頃はユーミン教徒たちによって、恋人のいない人間にとっては怨嗟の日になったりもしたが、ともかくまぁ、程よく特別で、だが当たり前のイベントへと進化した。
だから例えば節分の鬼とか、日曜日のプリキュアと同じくらいに、サンタクロースも普通に扱ってあげればいいのではないか。
それとも無邪気にサンタを信じる子供というのは、親にとってそんなにも愛おしいものなのかな?
・・・まぁそうかもしれない。