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うまくいったら苦労はしない
よく聞く世の奥様方の愚痴に「うちの亭主は靴下を裏返した状態で洗濯に出す。誰が元に戻していると思っているのだ」というのがある。
あれを見聞きするたびにいつも思うのだが、なぜ元に戻して洗おうとするのだろうか?
というのは、我が家では裏返して洗濯カゴに入れられたものは、裏返したままで洗われて、それが乾くとそのまま、靴下なら靴下の箱に投げ入れられる。
それを履く方がペアにして、裏返すのである。
時々ベアの片方が出てこないで、しばらく箱の中で寂しげにしていることもあるが、まぁいつかは戻ってくる。
そういう雑な方法で、特に困ったことはない。
思うに世間一般、やらない人間に対して優しすぎるのだ。
あるいはやる人間が家事の質についてストイックすぎるのかもしれない。
結局のところ、他人にやってもらえないならば、自分でやらなくてはならない。
例えば一人暮らしをすれば、八割方の人間は、家をゴミ屋敷にしないし、靴下だっていつかは洗うだろう。
だから「ゴミ箱のゴミ、誰が集めるのか」問題とか、「麦茶を飲みきったら作っておけ問題」なども、我が家ではやっていないけれど、あまりひどい時は個人のゴミ箱だのマイボトルだのを用意して、各々管理すればいいと思うのだ。
身の回りの何をどのくらいしっかり管理するのか、という問題に正解はない。
概ね女性の方が家事全般きっちりやる傾向があると思うのだが、連れ合いの雑な家事に憤慨する旦那だっていないわけではない。
自分のことは自分でやって、人の領分は片目をつぶって見るくらいが、心の平穏を得るためによいのではないか、まぁそんなにうまくいかないから、日本中でゴタゴタするのだけれど。
あと、ゴミを捨てない残り二割の人間と結婚してしまった場合は、これとは違う覚悟がいると思うが、それはまた別のお話。