上野の森から
国立博物館まで「はにわ」展を見に行く。
太古、日本人はあの装飾過多な縄文土器や土偶を、延々と一万年も作り続けていた。
しれっと一万年と書いたのだが、以後の時代を全て足しても3000年なので、これは日本人の歴史のゆうに2/3を超える。
恐ろしく長いのである。
その後、突然シンプルモダンな弥生式に方向転換して、今度は打って変わって禁欲的な壺などを作る。
これが千年弱である。
縄文の足元にも及ばないが、それでも十分に長い。
さらに古墳時代に至って、ここから再度シフトチェンジすると、今まで抑圧されたものを取り返すように、この間かえりみられなかった具象モチーフに回帰するのだ。
埴輪が作られたのは、この最後の約400年間である。
モチーフは人だけに限らず、動物、家、船、武具など多岐にわたり、またそこに物語すら感じられるようにもなる。
ここに至って、日本人は実に特徴的な三つの美術様式を経験したわけだ。
おそらくこれは、世界的に見ても稀有な文化史なのではあるまいか。
さて、このなかでどの時代が我々の本質的な美意識に基づくものなのか、あるいはもう現代日本人とは全く関係ないものなのか、美学者や美術史家がどのような見解を持っているのかは、浅学にして知らない。
ただ、会場で目の前に並んだ埴輪の数々の、なんと魅力的だったことか。
それまでの時代には見られなかった、人々の日常生活を感じさせるモチーフの数々は、呪術がアートへと変貌していく過程を、瑞々しく指し示しているように感じられて、大変興味深かった。