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八百万

働く場所に神棚というのは、私たちが普通にみる風景だ。

古来、八百万の神などといって、我々は森羅万象ありとあらゆるものに神様の姿を見出してきた。

そういう流れで本邦では、暴力団の事務所から中小企業の営業所に至るまで、しばしば神棚がしつらえてあるのを目にすることができる。
国家を代表する大企業の、自社ビルの屋上あたりに、ひっそりとお宮が祀ってある様子も、特に珍しいものでもないだろう。

そしてこれは町工場や職人の作業場でも同様である。

例えば、酒蔵とか醸造所、鍛冶場、焼き窯。
職人は、自分の技を超えた人智の及ばない力が製品に宿るよう祈って、神を祀るのだ。

先日、共同アトリエの鉄の作家さんから、溶接の作業場に神棚の設置を頼まれた。

アートという括りになると、これは極めて個人的な側面が強くて、日本的な「神様」の有り様とは相容れないようにも思う。
とはいえ、何だろう、そういうものを作業場に祀るという感覚も、わからないではない。

その辺り職人とアーティストとの狭間で、どっちがいいとか悪いとかではないだろう。

いちおう総檜造り(笑)

というわけで、昨日ちょっと書いた、「今後の人生で多分もう頼まれないだろう仕事」神棚の製作である。

こういうのに、何か作法とか決まり事があるのかわからない。
そもそも、信心のないわたしが作っていいものなのかも謎だが、多分「本来の」神道はそういうことには寛容なのだろうと信じている。


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