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見た夢

そういえば楽しい夢を見ない。
楽しいというのは、別に幸福な夢ということではなくて、どちらかというとふざけた夢のことだ。

子供の時は誰でも奇天烈な夢を見るものなのか、よくは知らないが、わたしに限っていえば、中学生くらいまでは崖から落ちたり、空を飛んだり、ばけものに追いかけられたりする夢を頻繁に見ていた。

それが精神の成長とともに、いや、堕落とともにかもしれないが、とにかくだんだん舞台も登場者もリアルなものに寄ってくるようになった。

浪人が決まった高校3年の時、最後に合格発表の残っていたどこぞの大学に受かって、その頃ふられてしまった女の子と手に手を取って走り出す、という絶望的に情けない夢を見た。
思えばあの時、わたしの夢は、本当に夢見ることをやめてしまったのかもしれない。

あれ以来わたしの夢というのは、きっと自分の欲望だとか、羨望だとか、渇望だとかの残り滓が、映像の形で脳内に去来するものに成り果てたのだと思う。

だから、どんな夢も何かつまらなく、ワクワクしない。

自分の中では、あの入試の夢を見る以前の数年間、道具立はリアルだが内容はシュールだという、変なバランスを保っていた時期に立て続けに見たいくつかの夢が、いまだに人生で見た「ベストオブ楽しい夢」だ。

例えば、夢の中でわたしは、当時母親がやっていた店の二階に上がっていく。
そこには使わずに物置になっている浴室があって、わたしは何を思ったかそこに入っていき、浴槽の蓋を開けるのだ。
見ると、6つ上の兄が中からこちらを見上げているではないか。
彼は声をひそめ、だが必死に「ここには自分が隠れているのだから、あっちへ行け」と告げる。
何事かと訝しく思いながらも、再び階段に戻ろうとすると、下から親父がよろよろとこちらに向かってくるのと出くわした。
右手には鋏を握り、明らかに狂気で虚ろになった目で、抑揚なくつぶやいている。
「お父さんを助けてくれ」

この手の、なんでそんな内容なのかわからないが、ちょっと小説にできそうな夢をいまでも覚えている。
もっと長編もあって、それは自分の能力を制御できなくなった超能力少女の話なのだが、まぁ本題とは関係ないな。

とにかく、そんな自分の頭の中の、一体何が表出したのだろうという、楽しい夢を見ることはもうないのだろうか。
それは自分という人間の、不可逆的な限界なのだろうか。

とりあえず、明け方にトイレに行きたくて目覚めているうちは、夢と仲良くできそうもない。


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