成功体験
木工機械の作動音が途切れたとたん、仕事場に流しているラジオが唐突に問う。
「マラソン」といって思い出すのは何ですか?
えっマラソン?
宗兄弟? イカンガー?
頭の中でつぶやいて、その連想のあまりの古さに自分で感心してしまった。
まぁしかし、あの人たちは実にキャラが立っていた。
ワンツーフィニッシュを決めるメガネの一卵性双生児とか、全てのレースでスタートからゴールまでずっとトップを譲らない謎のアフリカ人なんてのは、ほぼ漫画の世界だ。
とはいえ、そんなことを言っても誰にもわかってもらえないくらいには、わたしも歳をとった。
もしたまたまこの文章を目にしたお若い方は、どうぞ軽く流してほしい。(でもね、ほんとにカッコよかったんだ。瀬古利彦だってあんな面白おじさんじゃなかったんだぞ)
しかし何というか、もう少しまともな思い出はないものか?
そういえばマラソンではないが、学校には持久走というのがあったと思い当たった。
体育の種目はほぼ全て落ちこぼれていたわたしだが、唯一この持久走だけは他人より記録が良かったのだ。
おそらく周囲より痩せっぽちで、身が軽かったからであろう。
そんなことと思われるかもしれないが、例えばコメ5kg背負って走ると想像すればいい。
痩せていることは、それだけで長距離走にはアドバンテージなのである。
で、そのアドバンテージが一番いいバランスで作用していたのが、高校一年の頃だ。
どこの学校にも持久走大会みたいな行事はあると思うが、母校にも何キロ走だったかもう忘れたが、とにかくそんな催し物があった。
学校のそばにある陸上競技場からスタートして、そのあたりをぐるっと回って戻ってくるコースで、そこそこの距離はあったように思う。
1月の末あたりだったろうか、16歳の自分は、この日むやみに調子良く、たいして苦しい思いもせずにコースを走り切った。
全校で30番くらいだったと思う。
後日、教室に上位に入った者の氏名と順位が張り出された。
そこには、陸上部とかサッカー部といった、所属する部活の名前も書き込まれていたのだが、美術部であるわたしは果たして「文化部で一番速い男」となったのである。
わたしの体育における唯一の成功体験である。
自分は長距離に強いのだと言う自負は、その後自分が教員になり、担任したクラスの生徒に煽られて持久走大会に参加、300位台に沈むまで続いた。
もう自分以外絶対に覚えていないことなので、改めてここに記す。
わたしは「文化部で一番速い男」だ。
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