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朝ドラと夢

朝ドラ、ますますベタである。
今週はおばあちゃんの野菜染レシピなんぞを字幕入りでやっている。
これはいよいよ、朝の家事をしながら横目で流し見するという、朝ドラの王道の路線に原点回帰したのかもしれない。

もちろんそれを求める人もいるのだろうけれど、今のところさほど魅力的なキャラクターも出てこないし、個人的には注目するところがない。

別に私が心配することでもないが、このままでは雑に鑑賞する番組になってしまうのかなぁと、ぼんやり予想している。
ごめんなNHK。

さて本日は、周囲が目標に向かって目を輝かせている様子に、「夢って必要なのだろうか」的な悩みを吐露する橋本環奈。
これまた何度も朝ドラで見てきた主人公の苦悩ではあるが、これ、そんなに普遍的な悩みなのだろうかとふと考えた。

仕事柄、高校生は散々見てきたが、夢を持ったことで悩む奴らはそこそこいたが、夢を持たないことを悩む生徒をあまり見たことがない。
もちろん何者になれば良いのかと考え込む生徒はいたが、それは夢のあるなしではなくて、自分はどっちに向かったらストレスなく生きられるのか?という、消極的な問いかけであったように思う。

学校ではよく、自分のあるべき姿=夢をでっち上げさせて、ならばこの学校のこの学部へ行こう、ならばこの科目を選択しよう、みたいに逆算でキャリア指導するのだが、どうもそれはあまり筋の良い話ではない、と気がついたのは教員を辞めてからだ。

どこがどうまずいのかは、ここでは詳しく書かないけれど、夢なんて途中で変わるものだし、世間でいうほど叶わないものだし、下手をすると自分の人生に呪いをかけるものですらある。

夢を見つける人間は放っておいても見つけるのであって、無理に探したり決めつけたりする必要はない。
だから私が橋本環奈の問いに答えるならば、「不要ではないが、必要でもない」「あってもなくてもいい」なのだ。

                      

ある年、美術部にアニメが作りたいという子と、漫画が描きたいという子が入ってきた。
顧問としては、ここはアニメ部でも漫研でもないのでそれはできないけれど、「まぁ役には立つから」とデッサンを描かせた。
ふたりともあまり上手にはならなかった。

彼女らが卒業して5年くらい経った時に、漫画家志望の子は「写生合宿が雨でぼやいているタグチせんせー」が一コマだけ出てくるデビュー作を送って寄越した。
さらに2年くらいして「もののけ姫」がテレビ放送されて、延々と続くエンドロールを眺めていたら、その何百人かのスタッフの中に、アニメ希望の子の名があった。

2人とも自分でその仕事につき、今はその仕事からは離れている。

夢というのは、そういうものだ。それ以上でも以下でもない。

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