真夏日に気づく
暑い時こそスタミナをつけなくては、などと思い、今日の昼はいつもより少しボリュームのある定食を食べに外に出た。
仕事場近くの安くて美味い中華屋さんは、みな同じ思いなのだろう、昼前からお客でいっぱいである。
しかし改めて他のテーブルを眺めてみると、「ラーメンにチャーハンセット」とか、「大盛り冷麺に餃子」とか、そんなに昼から食べきれんだろう、という量のものばかりが目立つ。
この中では、頑張って注文したわたしの「肉野菜炒め定食」など、かわいいものに思えてしまう。
量は正義という中学生的な発想から離れて久しいが、食うぞと意気込んでたいして食べられないというのは、やはりいささか寂しい。
いよいよ本番の対真夏日対策としては、多少出鼻を挫かれた思いだ。
とはいえ、食べられないからといって、今のところそこまで暑さにやられているわけではない。
アトリエには冷房もないが、なんとなく扇風機だけで作業には支障をきたさないし、さすがに快適ではないが、さほど湿気の不快感もない。
これはおそらく、この工場跡をアトリエにリフォームした時に、頑張って断熱材を入れまくったおかげであって、あの苦しい作業の日々を振り返り、昨日の自分達へ大感謝すべきであろう。
というようなことを思い、勝手にしみじみしていた午後なのだが、ふとアトリエの他のメンバーを見ると、なぜか彼らの方は充分に辛そうなのである。
よく我慢できますよね、などと言われて、なに生きてきた年季の違いよ、などと嘯いていたわけだが、そんなわけはない、だいたい元々自分は暑さに弱い体質ではないか?
そういえば思い起こせば去年も一昨年ももっと暑かったような気がしてきた。
これはどういうわけなのだろう。
さて、少し考えて、恐ろしい結論に辿り着いた。
わたしの周りだけ気温が低いわけもあるまいし、とすると
わたしだけが、周囲と体感が違うのではないか。
つまり暑さを感じにくくなってきたのだ。
これは・・・・・老化なのではないか?
そういえばつい昨年までは、連れ合いの言い張るエアコンの28℃設定が、わたしには耐え難かった。
こっそり26℃くらいにしては、悪戯を見つかった小学生のように怒られていた。
それがどうだ、今年はずっと28℃のままではないか。
それで充分に涼しい。
これはあれだ、年寄りが暑さを感じなくて、室内で熱中症になる、あの毎年テレビでやっている、老人あるあるの兆しではないか?
あれから半日、まだショックから抜け出せない。
老化?えぇ老化なのかぁ。
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