猫と和解せよ(2)
にゃん吉は相変わらず可愛げがない。
2日目にして、もう逃げない。
逃げないどころか、11時と4時、食事の時間にはきちんと待っていて、ものかげからこちらをうかがっている。
目が「遅い」といっている。
なのに皿に盛ってやったキャットフードだの缶詰だのを、こちらの目の前では食べない。
きっちり10m離れるまで待っているのだ。
可愛くない。
ミケちゃんの方がもう少し奥ゆかしい。
にゃん吉は真っ先にお高めのパウチのフードを平らげるので、彼女は残りの缶詰タイプとか、ドライタイプのものを食す。
ただまぁそれは猫たちの力関係の問題で、こちらになんとかしてくれと甘えてくるわけでもない。
ふん。
さて作品の話をしよう。
猫系のギャラリーに10年以上お世話になったのだけれど、ここに集う作家も顧客もあたり前に猫好きばかりだった。
一方のわたしはといえば、別に猫嫌いではないが、飼うならきっと犬の方が可愛いんだろうなくらいの、なんとなく他人事の感覚で、最初から熱量が違っていた。
もちろん、だからといっていい加減にやっていたわけではない。
ただ、なんというか「素晴らしい猫の魅力を伝道してやろう」とか、「猫の可愛さにいてもたってもいられずに」みたいな「猫愛」で制作していたわけではなかった。
ではなぜ猫だったのか?
たまたまうけが良かった、ということはすでに書いた。
実はもう一つ理由があって、単純に作りやすかったのだ。
そもそもわたしがそれまで作っていたのは人間で、それは時に怖いとか、気持ち悪い、などと評されることも多かった。
それが猫の形を取ることで、生々しさが和らぎ、ずいぶんと受け入れられやすくなることに気づいた。
コーヒーにミルク、キムチにチーズ、タグチにネコである。
人間を作っていたときは、不気味さとかわいさのバランス、みたいなところがうまくいかなかったが、猫ならそのあたり、悩まずに作れたわけだ。
余談だが、猫族の顔というのは、人間同様、目が正面にあって、鼻が低い。
極めて擬人化しやすいのだ。
猿を除けばこういう特徴を持っているのは他にフクロウくらいで、動物界では結構レアな立ち位置にある。
これはもっと世間に敷衍してもよいトリビアなのだと思うが、それほど広まっていないので、今ここに書いた。これだけ書けば今日は満足だ
そんなわけで、自分の作るものと、見てくれる方のそこはかとないミスマッチを感じながら、わたしは制作を続けていた。
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