知人の死、果たされない約束。④

数万円ほどの生活保護金でも、毎月決まった収入があるというのは、彼女の生活を多少なりとも安定させたと思う。近くに住む彼女の子、孫たちの心理的負担も少しは軽くしたはずだ。
その後はコロナ禍もあり、彼女と直接会う機会は失いつつあったが、便りのないのは彼女に何も問題が起こってないということ、だと私は思うようにしていた。

久しぶりに電話が鳴ったのは、今年の5月末。彼女からの電話は私が送った年賀状が着いて数日のことが通例になっていたから、おかしいな、と首を捻りつつ出た。
もしもし、という声に聞き覚えはなかったが、彼女の娘(ほんとうは孫)の名を名乗った。その電話は、彼女が倒れて意識不明であることを告げた。

春に彼女の娘の一人が亡くなった、という。以前に彼女の電話から、あまり良くない感じを聞いていたので、そうか、と私は思った。
彼女は娘の死に随分ショックを受けたようだ、と彼女の娘(孫)は言い、それであわただしく葬儀など終えてすぐ、倒れたのだと続けた。脳梗塞脳出血、そんなところだと。

その後ずっと意識は戻ってない、バタバタしていて連絡が遅くなって申し訳ないーーと、彼女の娘(孫)は言った。
幸い、容態は今は安定していて地元の病院にいるという。が、身内でも週に数時間しか面会できない。つまりは面会謝絶であり、赤の他人の私が知ったところで何も動けない状況だった。
わざわざ連絡をくれたことだけでも有り難い。大変だったねありがとう、と私はお礼を述べた。

その彼女の娘(孫)は、私がまだバイトをしていた頃に生まれた子だ。バイト先に連れられてきた赤ん坊の初孫にチューをし、「ばぁばがチューしたんだいなぁー」とデレデレに嬉しそうな顔をした彼女を、私はよく覚えている。

彼女の家は、いつも賑やかだった。私が訪れたとき。彼女は子供と住んでいたり、子の結婚相手の連れ子の面倒をみていたり、孫の子守りをしていたり。その都度、入れ替わり立ち替わりの生活であった。

それは、けして平穏なものではなかったし、彼女は「独りになりたい。もう何も起こらないで欲しい」とこぼすこともある日々だ。見方を変えれば寂しさは微塵もない生活だったと言えるし、子や孫に囲まれた生活、と言えば人によっては羨ましくもあるだろう。
その実態は、次から次に巻き起こされる問題で、もういい加減にして! と、頭を掻き毟りたくなるような時もあったわけだが。

彼女自身もなかなかトラブルメーカーで、人助けをしたはずが、何故か裁判沙汰になっていたり。うっかり小火を出したこともあって。「なぜ、そうなる!?」と私でも理解不能なこともあった…

そんなこんなで、今回、電話をくれた娘(ほんとうは孫だが途中で彼女の養子になっている)とも会う機会はあり、彼女の娘(孫)もまた、私の存在を知っていたのである。(余談だが、私は彼女の娘(孫)が腐らずグレることなく育ったことに、とても感心している。彼女の娘(孫)の今後も続く幸せを願っています…)

私のことを聞いていた彼女の娘(孫)は、いわば彼女に頼まれて私に連絡をくれたのだ。

今夏の初めには、彼女の容態はかなり安定しているという電話があり、もしかしたら(目が覚めるのではないか)という希望も娘(孫)と話したのだったが。
8月。彼女はそのまま、目覚めることなく亡くなった。

彼女のアパートを再び私が訪ねたのは、8月末だった。もはや主がいなくなった部屋だ。他人の私が勝手に訪ねることはできないと思い、既にアパートとは別の場所に、独立して家庭を持ってきちんと暮らしている彼女の娘(孫)の都合にあわせ、訪問させてもらった。

数年ぶり。記憶と変わらぬ綺麗な彼女の遺影と対面した。直葬で済ませたという。遺骨を納めた骨壺、遺影、線香、花瓶ひとつのみの祭壇に手を合わせた。
彼女の娘(孫)と、亡くなった娘の子と一時間ほど思い出話などして彼女を偲んだ。

彼女の娘(孫)は、(倒れたのが)急だったので最後に彼女と話が出来なかったのが心残りだ、と言っていた。けれど、もう一度目覚めることが彼女にとって幸せだったのかは分からない。これで良かった。彼女は楽になったのだ、とお互い言い合った。

遺骨は地元ではなく彼女を可愛がってくれていた彼女の姉の家のほうへいくという。
彼女の住んだこの部屋は、亡くなった娘の子がひとまず住むことにするそうだ。

彼女はいなくなった。
私がこの場を訪ねることはたぶん、もうないだろうと思えた。理由がない。彼女と私の付き合いは、これで終わりになるのだから。

話を交わした一時間の間、彼女の笑顔の遺影を幾度も眺めた。目に焼き付けて、私は部屋を辞した。内心、写真を貰おうか手持ちのスマホででも写そうかと悩んだ。けれどやめた。
彼女のことは今後も、時に思い出せるだけ思い出し、それで。いつかやがて忘れるなら、それでいいのだと思って。


彼女の話はこれで終わりです。私が今回、彼女の話を書いたのは、あるとき、創作をするのが夢だと言った私に、彼女は「なら、自分のことを書いて欲しい。いつか本にして」と言ったことがあったからです。
でも、私が書きたいのは幸せな結末に辿り着くフィクション。エンタメ。なので、私は明確な返事をしませんでした。

彼女を書くなら、それはノンフィクションになる。それも山あり谷あり波瀾万丈、赤裸々に書くには詳細な取材が必要です。けれど、私をどこか娘のようにいう彼女は結局、真実を私には言わないのです。いつもどこか暈し、ウソとも取れた。偏ったものだった。
だから、私には書けない。
この先も私は彼女の話を書いてあげられません。

これはほんのさわり。私が知る彼女のほんの一部分、さらにはしょったものでしかありません。ノンフィクションもどき、でしかない。
それでも、読んで下さった方がいらしたなら。ありがとうございました。

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