知人の死、果たされない約束。①


知人、と称したが、それは彼女を顕すのにちょうどいい括りを探すのが難しいからで。違和感は否めない。
多分、正しくはないと思う。が、友人はもっと違うように感じるし、けれど、きょうだいでも親戚でもない真っ赤な他人なので。知人、と称しておく。

確かに、長く付き合い期間のある人だったから。きっと、私の人生に於いて縁のある人だったんだと思う。
亡くなったのは、8月某日。齢77歳の知人、だった。

彼女とのはじまりは、私が高校生。16歳。人生初のアルバイトとして入った先だった。一緒に仕事をする先輩として彼女はいた。いわゆる、パートのおばちゃん。
親子ほど年が離れ。実際、私に近い年の子を持つ彼女は、何故か私を気に入り、ずいぶん親しくよくしてくれた。

「親子なの?」「よく似てる」「仲良くていいわね」お客さんに声を掛けてもらうことは多く、いちいち否定するのがバカらしいくらいだった。彼女は次第に「親子なんです~」と笑いながら言うようになってしまい、私は否定も肯定もする間がなかった。
「親子でいいじゃない。ね?」彼女はそう言うし、客の多くはその場限りの人だ。ムキになって否定して回る意味はあまりないだろうと私は判断した。

以来、私自身は笑って軽く躱すようにしていたのだが、ほんとうに、よく似ているらしくて、高校の一先輩など、私に何を聞くまでもなく勝手に母子だと思い込み、「まったく違います。赤の他人ですよ」と文化祭に来た実母を会わせたら、ひどく真摯に謝られたこともある。

そんな彼女には、実子が何人かいるのだが、実は、若くして産んだ一番上の子は手元で育てられず実姉に託していた。時々、会う機会はあるようだったが、その子は彼女を母とは呼ばず、あくまでも姉の子としての付き合いであり、自分は何も出来ないのだと。その子に、特に私がよく似ているのだと言うので、私に対する振る舞いは、そのせいなのかとも私は解釈していた。(彼女の実子たちも、私を見て「本当によく似てる」と常々言っていた。)
そんなこんなで、思いのほか居心地のいい職場となり、結局、高校卒業まで其処でバイトを続け、彼女との付き合いも続いた。

成人式で着物を着た姿も見たいと言われ、わざわざ店まで行ったり。すると、元バイト先になったはずの社長さんまで、丁寧にお祝いを包んでくれたりした。たかがバイトにする事じゃないと恐縮したのだったが…。(当時の私は知らなかったが、その店で社長が雇った高校生バイトは私が初めてで、そして最後だったらしい。だから、バイトへの福利など、どこまでが適当なのか分からなかったのだろう)

バブル末期、都会ではもう既にハジケてた頃のこと。余波がまだ届いていなかった地元では、まだいい時代で、いそがしく賑やかな良い時だったんだと思う。

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