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実は非日本的な神社
神道は紛れもなく日本独自の宗教であり、一種の思想だ。
今では神社こそ他国には無い日本らしい建物である事に異を唱える人はいないだろう。今回は、現代において神社は、とても日本的な伝統文化となったが、古代史の観点から見ると、非常に非日本的であるという観点から神社について語っていきたい。
まず、参拝方法であるが、一般的には
①鳥居をくぐる前に会釈
②手水舎の水で両手を洗い、次に手に水をためて、その水で口をすすぐ
③神社の前で深いお辞儀を二回
④拍手を二回
⑤お祈り
⑥最後にもう一度深いお辞儀
という段取りになっている。
この段取りも、今となっては非常に日本的に感じてしまうが、この作法の理由に関して古事記にも、日本書紀にも記載はない。
鳥居が何であるか?手水舎はなぜ必要なのか?の理由の説明が一切存在しない。『手水舎は心身を清めるために存在する』とは、よく言われる理由だが、これで納得してはいけない。これでは理由の核心に至っていないのだ。
・なぜ水で手を洗うと清める事になるのか?
・そもそも、なぜ清める必要があるのか?
を知ってこそ、理由の核心になるはずだからだ。
では、その核心に迫っていこう。
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