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冷たいINTPが「温かいロボット」を目指す話

私は自分のことについて表現するのがいちばん苦手です。
特に感じたこと、どんな気持ちになっているのか考えて、それを書き出してまとめて整理し、他の人にも分かりやすい言葉に置き換えるというのが途方もなく難しく感じます。
普通であればそんなことは意識しなくてもできるのですが、発達障害のグレーゾーンなので子供の頃は特にASDの傾向が強かったと思います。

最近、近所に羊が2頭やってきて、私はここ2週間ほぼ毎日羊のことを見に行っては脱走してないか、夏バテしてないか確認してます。
特に理由はなくても、息抜きで行くことも多いです。
今日は子連れのお父さんを見かけて、一緒に歩いている子供も羊に興味を持っている様子だったので、「触っても大丈夫ですよ」と呼びかけ、子供たちが触っているところを見届けてました。
それから少し説明した後、お父さんが抱きかかえている男の子の顔に、羊に触った手がつきそうになって、私はとっさに「後でおてて洗わないとね」と相手の顔を見ながら話す。

ごくごく普通のことだけど、以前の私は自ら話しかけて、コミュニケーションを取ること自体できませんでした。
スキー合宿の時でも、一緒にいたグループの一人が置いてかれたのに他人から「拒絶」されることを恐れて言い出せず、後でリーダーから怒られたこともありましたが。
単純に年齢や立場、環境が変わったせいなのか分からないけど、とにかくストレスが減ったのを感じます。
子供の頃から同性が特に苦手で、かといってチャット以外では男性ともロクに喋らなかったのに、20代に入ってからやっと、おばちゃんや年の近そうな人ともたまには世間話ができるようになったんです。

本当はこの自己紹介よりももっと虚無な性格なのですが(笑)、とあるビッグファイブの診断結果で「悲観的性格で人に教えるのが苦手な人」と出てきたことを思い出したのがきっかけです。

私はINTPらしい無機質な文章、感情のこもってない独り言みたいな文体をできる限りやめよう、これからは文章を書く仕事のためにもアウトプットくらいできるようになろうと最近考え始めました。

「情感記憶」というのがありますね。人は感情を伴った記憶を保持しやすいそうです。行動経済学の話でも似たようなこと書いてあるかもしれませんが、事実をありのままに述べたところで誰も反応しないのは、それ自体が単なる情報であって、伝えるための配慮をしていないからです。

でも私は、自分の考えに注目が集まらないのは皆が無関心だから、理解できる人がいないからと思い込んでました。理解しない人がいるのは仕方ないとして、個人としての発信力や権威がない。結局、金と権威が集まっているところや有名人が発言したものでしか意味がないんだと。

そんなふうに思いながら10代の頃は過ごしていましたね。なかなか痛いかもしれませんが(笑)

でも同時に自分の考えが本当に正しいのか、いつも自信を持てなくなります。

話は飛びますが、INTP=タイプ5ではないとはいえ、タイプ5の特徴は概ねINTPと被るところがあります。
一概には言えませんが、もしかして本当の囚われは「無能」や「溜め込み」というより、「そもそも自分が存在していいのかという自信のなさ」ではないか。全く大げさではなく、幼少の頃からずっと感じてました。

「どうせ嫌われる」と無言で唱えたら、嗚咽が出そうになるくらい過呼吸になって、子供時代の頃の感覚が蘇ってきて、「自分は嫌われ者だ、本当に関心持って好いてくれる人なんていない」と思ってることに改めて気づきました。

でも、そのままだとその通りの結果にしかならない。

「じゃあ、結論として『もっと関心持ってほしい、好かれたい』メンヘラなんですか」とツッコまれそうですが。

でも多分、そういう意味ではなくて自分の中の完璧主義や防衛的な態度をやめて、もっと他者視点のことも考えて自然体になるべきだという自己反省だと思います。(ここだけすごく伝わりにくい文章になってしまった。)

普通に話が通じる人は欲しいですけどね!(*^▽^*)

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にゃる🐹
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