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介護ってなんなんだろう⑧
母が亡くなった。
覚悟はしていた。しかし
「これでよかったんだろうか」
悔やんでいるのに無理に納得しようとする自分がいる。でも考えれば考える程後悔してしまう。
89歳。
世間並みにはよく頑張ったと言ってもいい年齢だ。
しかし。もしかすると人生の最後に“自分は生きていてもしょうがない”と胸に抱いたまま逝ってしまったのだろうか。
体調ならまだしも体型や他害の可能性を理由に施設入所を断られ心配したケアマネージャーから「やはり介護をする人(キーパーソン)がいないようなものだからね、、」と言われやはり早めに自宅から施設中心の介護に切り替えていたら等、ああすればよかった、こうすればよかったと今さら悔やんでいるけれども、、
もう母はいない。
外がまだ暗い早朝に母の呼吸がおかしい、と病院から連絡があり最小限の支度をし弟に電話。
やはり電話に出ない。
病院に着き、母と対面。
担当医から最後の診察。
、、、。
身体のお清めのため待合室で待つ。再度弟に電話。
大きな声で
「死んだの!?まだまだいけるかと思ったんだけど」
担当医からしょっちゅう母の状態を知らされていたじゃないか。
あ~いろいろ手続きするの大変だなあ、とぼやくので手続き全部私がするんだけど!とイラつくとそっか~あはははは!と笑い出したので、なんでこんな時に笑ってるの!とたしなめるとそうだね、と塩らしい様子が電話越しに伝わったが。なるべく早く来い、と伝えても、え~ちょっと待って、と駄々をこねる弟。
いくら可愛い息子だったとはいえ幼少の頃から甘やかされ過ぎた、現在五十過ぎのオヤジ。そんな弟は母のことをどう感じていたのか。共依存の関係だったわりにあっさりとしている。聞けば「悲しくはないけれどショック」。まさに親の心子知らず。恩を仇で返す。青年期に統合失調症と診断されたがそれだけではないのかもしれない。自閉症スペクトラムが疑われるような言動や振る舞い。サイコパスにも思える。
やっと弟が病院に駆けつけて間もなく看護士にお風呂が終わりましたよ、と告げられる。「えっっ!?」とひどく大声で驚く弟。その驚きように看護士と私、一瞬沈黙、、。あえて二人とも突っ込みは入れなかったがその後すぐ
「、、湯灌が終わりました」と看護士。
亡くなったと伝えているのに母が生きている、あるいは生き返るわけがないだろ。
すべて言葉通りに受け取ってしまう。
親身になって明るく母と介護に関わっていた方々を不快にさせてしまったことをよく耳にしていた。“まとも”って何?と聞かれたら説明は出来ないけれど確かに一見まともに見える弟とのコミュニケーションにはいつもイライラさせられた。
それを知りつつ私は弟に代わって母の介護施設探しに奔走したものの、自分がコロナに罹ったり他人の意見に迷い過ぎたりしてタイミングを逃してしまった。
母の介護の計画を模索している最中しつこく病院で薬をもらってくれと毎日のように私とケアマネに電話を寄越す訪問薬剤師もいた。病院内に薬局があるにも関わらず弟にわざわざ処方箋をコンビニのファクシミリで送らせ自宅に薬を持ってくる女性。
母にとって運が悪かった、では済まされない。
約一年の間に別人のように狂い、衰え、亡くなってしまった母。
せめて、せめてあの世では以前のようなニコニコと朗らかな母のままで楽しく過ごしてほしい。
やりきれない気持ちになりふと涙が溢れてしまう。