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自由研究という名の自由じゃない課題
小学生の頃だ。学年ははっきり覚えていない。たぶん高学年だったと思う。
夏休みに入る前、問題集や絵日記と同時に自由研究も夏休みの課題としてあげられた。私は工作か何かを作ったのだが自信がなくいろいろ悩んだ末、二学期が始まり自由研究の課題だけ提出しなかった。
二学期始まってすぐのホームルーム。なんと担任の先生が教壇にたち、夏休みの課題をやっていない生徒数名を黒板の前に立たせ、クラス全員の前で批判しだしたのである。
一人ずつ、◯◯は問題集をやっていない、◯◯はうんぬんと言い出し、私の番になると
「自由研究は何をやってもいいのに提出していないのは◯◯(私の旧姓)さんだけだ」
あ~あ、あんなへたくそな工作でも提出しておけば、みんなの前で恥かかずに済んだのにな~と悔やんだが、待てよ?自由研究って「自由」っていうんだから提出するのも「自由」じゃないの?
課題のテーマが「自由」なだけであって、課題自体は提出しなければいけないのか?などと大人になって考えるのんき者の私だが、今の時代、教師が生徒を一人ずつクラス全員の目の前で批判していたら傷ついた生徒が親に打ち明けて問題にならないとは限らない。
現在、教師は人不足。授業のための予習や準備の時間が有給にならない、と聞く。それだけ過酷だし、「先生なのに」という世間体もあり学校に携わる親や子ども以外のすべての人たちに人格も問われる。昔より世間の目は厳しいし魅力は、、、ない。大変な職業だとは思うが
「自由研究ってどういう意味、価値があると思う?」
なんて柔軟な発想を生徒たちに考えさせてくれる先生がいたら子どもも考えることを楽しんで学べるし、成長にもよい影響を与えるのでは?
私も自発的にものを考える子どもだったら当時もモヤモヤした感情もなく、ひねくれない真っ直ぐな大人になったのになあ、とのんきに思う。