どうしても、「その位置」に立ってしまう。
全体における欠点を指摘すれば、その指摘する者は翻って正義を味わえるから。
そんな「正義」なるものから、煮え湯を飲まされてしまったのでしょう。
(正しさなんて、求めなければいいのに)
でも
違うことは、違うんだ。
異を唱えないことは、その場の在り方を認め、さらにはその場の在り方を補強する行為となる。
……足りなかったのは、おそらく「気概」。
(年を重ねて、少し視界が開けた分、怖くもなった)
足りなかったことは、もう一つ。
それは、つながろうとする努力。
もう少しだけ、人を知ろうとして。
もう少しだけ、人を信じて。
もう少しだけ、……信じて。
(いつも、ここで躓く)
明日が、始まる。
毎日は、そうやって誰かが守ってきた「正統」によって続いていく。
その誰かに感謝できるようになったとき、異端という位置に立っても、しっかりと目を見て、自分の異を唱えることができるのかもしれない。