公平世界仮説について思うこと~いじめられる方も悪いという言説は間違いだ~
突然だが、確か「いじめられる方も悪いと言う愚か者」というようなタイトルのブログというか、ネット記事を過去に読んだ記憶がある。とても興味深く、共感した。残念ながら後で何度探してみても見つけられないので、私がここでその概要を書き起こそうと思う。原文の筆者には申し訳ない。
読者の皆様は公平世界仮説という言葉を聞いたことがあるだろうか?簡単に言うと、因果応報とか、勧善懲悪とか、神様が見ているとか、情けは人の為ならず。こういったことである。勿論、この考え方には良い面もある。誰もがこのような道徳を受け入れ、善行に励むようになれば社会は良くなるだろう。
問題なのは、この価値観が被害者非難の大きな原因となっていることである。記事のタイトルにもあったとおり、「いじめられる方も悪い」がその典型的な例である。いかなる理由があってもいじめは卑劣な行いであり、他人を死に追いやるものであり、決して正当化されるべきものではない。いじめた者が全面的に悪いのだ。
被害者非難の例はこれだけではない。「あおり運転に遭う方が悪いんだ」「夜に出歩くから犯罪に遭うんだ」「失業者は自己責任だ」「前世で悪いことをしたから奴隷なんだ」いずれの主張も身勝手なこじつけに過ぎない。そういう価値観は自分の処世術として持っていれば良いことで、他人に強要してはならない。だが公平世界仮説に支配された人々は、いじめや犯罪といった理不尽が跋扈する現実を認められないのだ。だから、自分だけは安全で安心な場所でぬくぬくと生きる為に、そのような暴論を持ち出すのである。
「いじめられる方も悪い」などと主張してはならない。現実はそんなに美しいものではない。公平な世界は誰かが勝手に創り上げた幻想であり、虚像である。この世の理不尽を認めまいと、被害者叩きをする者達自身がもう既にこの世の理不尽と化している。我々はそのことを自覚すべきである。