「先生」が好きになれなかった

以前LINE VOOMに投稿した内容を元に書いています。私的な意見になりますが、「こんな奴もいる」くらいの感覚で見てやって下さい(笑)


私は学生時代(今もですが)、「先生」という存在が嫌いでした。


理由の一つは、「目標を持て」「成長しろ」「楽をするな(勤勉が善であり怠惰は悪である)」、進学を勧めるなど固定観念が強いことです。最低限、人としてのモラルを教える必要があるのはわかりますが、望んでもいないことを押し付けるのが正しいとは言えないと思います。


私の数少ない尊敬する先生の中に、「私はあまり他人の性格に口出しをしたくない。何故ならそれは、その人の個性を奪ってしまうことだから。」そう話していた方がいました。


人生はもっと幅のあるものだなぁと、今になってそう思います(←まだ若者ですが)。主体的に、好きだから・やりたいから努力や工夫をするという方以外はもっと楽をして良いのでは?


お金を稼ごうとか、他人に評価されようとかする前に、是非一度自分に問うてみてはいかがでしょうか。作家phaさんの言葉をお借りして、


それは本当に自分に必要なのか


ただ一方で、楽や幸せだけが全ての価値基準になってはならないと思います。かくいう私も、宮台真司氏の定義でいう超越系の意味で「何者かになりたい」欲が幼い頃からありました。「私はこうなりたい」という意志や生きる目的があるなら、楽よりもそちらを優先した方が良いと思います。


余談ですが、自分が幸せでないと他人を幸せにはできないという説がまことしやかに語られていますが、私はそれはこじつけに過ぎないと思っています。例として、日本の被災地では支援物資が届いても、先を争って手に入れようとする人はいません。むしろ苦しい時ほど「うちのところはこのくらいにして、他へ分けてやってくれ」と言う方もいたそうです。逆に、満たされている筈の富豪の中にも、貧しい人を見ても「それは自己責任だ」として手を差し伸べようとせず、ひたすら自分が儲けることばかり考える人もいます。幸せかどうかではなく、思いやりを持って相手の立場になれるかどうかがよっぽど大事です。


そう考えると、世間一般で言われていることなど大した信憑性のない話だということがお分かり頂けるかと思います。


お読み頂きありがとうございました!

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