続-生きることの本質
ご無沙汰しております。前回記事生きることの本質|青海 咲秋 (note.com)に補足したいと思います。
人間を含め、生物は皆生きるために生きている。ただそれだけの存在です。しかし人間に関しては、意味がなければ生きられない存在なのだと、つくづく実感するところです。noteの他の方の記事でも、生きる目的や意味・幸せについて述べられたものを目にします。
最近、興味深いネットの記事を見つけました。↓
生きる意味を求める人へ。5つの探し方。 - ばさばさ生きねば研究室 (basabasa.net)
真っ当なご指摘だと思います。しかし、現に生きる希望も何もないと嘆く・時には自ら命を絶ったりあるいは命を顧みず何かに挑戦したりすることで意味を貫こうとする。そういった方々も少なからずいるのではないでしょうか(私を含め…私は自〇が良いとも悪いとも言いません。ただその人にとっての最善の選択だったのならそれまで。)。
私が最近買った、上杉正幸教授の本より一部抜粋させて頂きます。
上杉教授はこのように述べ、健康を至上とする現代医療や生きがいを失わせるこんにちの社会に対し「決して幸福への道ではない」と痛烈に批判しています。では生きがいとは何かというと、「たとえ健康に悪いといわれることでも捨てたくないもの」なのだそうです。何事も平穏無事・安全第一・健康第一の生活からは、自分は生きたという達成感や満足感は得にくいのではないでしょうか。勿論そういう生き方を否定する訳ではありませんが、現代の常識に少しでも疑問や物足りなさ、息苦しさを感じるのであれば、危険を覚悟して、挑戦して、色々と試しながら太く短く生きようとする。そういった精神が必要だと私は考えます。それをバカにするような人がいたとしても、その一歩を踏み出す姿は魅力的。だからこそ我々はそういう生き様に惹かれるのでしょう。
実のところ私も到底、このように言える立場にはありません。ですが今回、自戒の意味も含めて書かせていただきました。ありがとうございました。それでは最後に、私の好きな岡本太郎さんの言葉を載せて結びとしましょう。
誤解を恐れずに言うと「幸せ」なんて簡単に言うべきではないのです。自分の人生、説得やごまかしを一切抜きにしたとき、本当に満足だと自信を持って言えますか?彼はそういうことを問うている訳です。
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