それでも私が自己主張をする理由

 ご覧頂きありがとうございます。今回はなぜ私がnoteを始めたのかを書いていきたいと思います。

 誰も傷付けない正義はないし、自己主張を続けていたら自分が嫌われるかもしれない。自分が必ずしも正しい訳ではない。でも、自分自身の人生には誰も責任を取ってくれないんだ。仮に“失敗”人生を歩んでしまったとしても自己責任と言われ、頼みの綱である社会サービスすら政府は消極的。そして何より、苦労して当たり前・社会人としての責務を果たして一人前・逃げ得は許すまいとする世間の風潮が根強い。

 そうでなくても、そもそも正解も間違いも無い世界に他人の生き方を否定するような主張(例えば、肥満や“不健康”とされる生活の人への差別、趣味や職業・思想への偏見など…)が多いです。いかなる理由があろうと差別思想は正当化されるものではありません。他人に何かを言われる筋合いもない。「社会の為」という大義名分・パターナリズムはファシズムや全体主義と何ら変わらないではないか。あなたはそんな世の中が理想ですか?正直良かれと思ってやっているというよりも、何かを売りつけたいとか自分だけが損をしたくないといった思惑が見え隠れします。「情報を意図的に制限しろ」という主張だって、本当にそう思うならまずその人が黙るべきです。

 話が少し逸れましたが、こうした社会の中で本当の自分の意思で生きるには、周りの目を気にしない・あるいは周りの人と戦わなければなりません。

自分だけの言葉で武装すること

『人生の土台となる読書』著者・phaインタビュー より引用

 この為に、自分が自分として生きて死ぬ為に自己主張をしよう。その一心で始めました。非難も結構。でもこの想いが読者様と同じなら嬉しい限りです。不定期ですがどうぞよろしくお願い致します。

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