生きることの本質

本当に“正しく”生きることなんて、誰ができようか?!


これは最近私が常々考えていることです。誰をも傷付けず、他者や自然を敬い、自分も大事に、そんな生き方が実際に可能なのでしょうか?


単に動物として人間が生きるだけでも、最低限住むために他の生物を殺し、食べ物を食べ(=他の生物を殺し)、残酷な生存競争に勝ち(=他の生物を差し置き)…その上、現代では経済活動のせいで更に多くの生物を犠牲にしています。


まさに、走れメロスの「人を殺して自分が生きる」状態な訳です。このような中で正義やみんなが幸せになる方法、などどこまで語れるのでしょうか。そもそも、幸せや恵まれているなんていう話は単なる個人的かつ相対的なものであり、誰もが「こうなったら幸せ」なんていう状態などありません。


『どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?』
−ホセ・ムヒカ氏スピーチより


これは重要な質問だと思います。このバランスが取れない限り、社会問題・環境問題は解決できないと思います。


そもそも、我々は自分から望んで生まれてききて、望み通りに生きている訳ではないのですから、その分せめて自己中に生きてやる、となるのは自然な流れです。生きがいや自分の価値を追い求めたい欲求もある。


にもかかわらず他人に尽くす、社会問題・環境問題解決に尽くす、そこまでできる人は一部の聖人君子くらいではないでしょうか。私自身も我ながら正義感が強く、環境にも気を遣っている方だとは思いますが、一方で私生活はルーズで家族に迷惑を掛けている面もありますし、自分が人生の主人公でありたいです。そして何より人間として生きている以上周りの自然を犠牲にしている訳です。


このように考えてみると、自然界の仕組み、生態系は本当に上手く出来ていると思います。主に習性や本能で生きる生物達の混沌で、なぜあれほどまでバランス良く関わり合いながら生きているのか、本当に尊敬に値します。


そこで私が思うのは、人間社会にも今の人間の理性を超えた、自動化したシステムが必要なのではないかということです。もはや現代は「一人一人が意識しましょう」という呼びかけも虚しい状況にあると思います。人間が自然界の競争から離れようとしたからには、相応のシステムを構築する責任があるのではないでしょうか?


まぁ、申し訳ないのですが偉そうなことを言いつつ私には具体的な考えが思い付きません…自分にできることをしつつ、芥川龍之介氏の言うような生きる虚しさを感じながら、自らの目的のために死にたい。命を使いたいと思う今日この頃です。


最後になりますが、少なくとも、人間が他の生物より優れているなんていう考えは傲慢です。所詮生物なんてのは生きるために生きているのですから、その目的を果たせればそれ以外に優劣など無いのです。


それでは今回も、お読み頂きありがとうございました!

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