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八軒自然科学クラブ誕生秘話1
水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回は、「秘話」と言う程、大袈裟な内容ではありませんが、八軒自然科学クラブが誕生した経緯を語ります。
実は、八軒自然科学クラブを創設したのは…私の母です。時々記事にしている介護話に時々出てくる、あの母です。
我が家は昔、札幌市中央区の旭ヶ丘と呼ばれる地区に住んでいました。そして、その地域に住んでいた子供たちを対象に、自然の中で色々な体験をしよう…と呼びかけていたのが、「旭山自然科学クラブ」と言う団体です。
その頃の私は、もう手の付けられない「面倒くさい子」でした。
教師になった今なら分かります。教育業界では俗に「アスペ傾向」と呼ばれる、こだわりの強い傾向が強く、ADHD傾向も強めの子供だったのです。自分でも幾つかは記憶していますが、ま~、色々とやらかしまくっていた子供でした。その頃は「発達障害」なんて言葉は無かったですから、担任だった先生方はメッチャ苦労されただろうと思います。
当然、母は相当に私の事が心配だった事でしょう。何とかしたい…そう思って選んだのが、「旭山自然科学クラブ」に私を参加させる事でした。
今も時々「つぶやき」投稿で昆虫や虫について記事にしていますから、分かる方もいると思いますが、当時の私は生き物…特に昆虫や虫が大好きでした。そのため、「自然の中で生き物に触れる活動をしたら、少しは落ち着いてくるのではないか」と、母は考えたのだろうと思います。
実際、「旭山自然科学クラブ」に参加していた私は、かなり生き生きと活動していた様です。「様です」と書いたのは、その頃の記憶が、ほぼ皆無と言って良いくらい残っていないからです。後年、母から聞いた話だと…と言う事で、「様です」と書きました。
母としては、「このまま続けていけば、息子も少しは落ち着くかも」と思った様です…が、そこに大きな問題が発生しました。
父が家を建て、引っ越す事になったのです。場所は、札幌市西区の八軒と呼ばれる地区です。当時は交通の便が悪く、中央区の旭ヶ丘まで行くには少々不便な地区でした。
困った母。…その母にアドバイスをした方がいました。
予想してましたが、長くなってきました。続きは、また次回に。