魂での合図をキャッチ
わたしに霊感はない(ただ、非科学的なことはすんなり受け入れられる)。
かつては心霊現象の話がすごく苦手だった。「幽霊を見た」と言われたら、「ごめん、その手の話は怖くて苦手だから、しないで」とお願いするぐらい。
随分前だけど、兄夫婦の家に泊まったとき、義姉から「お母さんが(亡くなっている)この家にいて、夜中に階段を上がる足音とか、ドアを開ける音がするかもしれないけど、お母さんだから、怖くないから」というようなことを言われて、お母さんは知ってるし、わたしにもよくしてくれたけど、霊の怖いわたしは、その夜、落ち着いて寝られなかったです。
ただ、今の私は変わっています。父が突然死してから、霊でもいいから会いたいし、何か合図を送ってほしいと思うようになったから、同じ思いをしている方々から、霊体験談を聞きたいくらいになってます。
なので、亡くなったお母さんを身近に感じることができていた義姉を、今は羨ましく思っています。
人にとって一番辛いのは、やはり身近な人や大事な人の死だと思います。
特に、予期せぬ突然の別れほど、辛いものはないでしょう。
「自分に霊感はない」と思っていたわたしが、これまで唯一体験した不思議な出来事は、小学生の頃、深夜、誰もいない台所で、まな板を🔪でトントンしているような音を聞いたというものです(その頃、心霊漫画をよく読んでいた)。
台所の近くに置いてあった鳥かごの中のインコも、その音を何だろうという感じで、首を傾げて聞き入っている様子だったので、あら、ピコちゃんにも聞こえているのね、と判りました(ふだんならインコは寝ている時間だったのです)。
はっきりとした大きな音でした。
あれはなんだったんだろう? ご先祖様の霊が、ここにいるよ、と存在をアピールしていたのかしら?
(ここの部分を推敲していたら、どん、どんって2回家鳴りがしたわ)。
ーーー
今思うと、これは予兆だったのかなと思うけれど、
久しぶりに『西の魔女が死んだ』を再読しようと、部屋の本棚から抜いて、
リビングに置いといた。その2日後、元気だった父が突然亡くなった(コロナワクチン接種後48時間で←このことに関しては『突然の別れ』というタイトルで別記事にしているので省きます)。
それで、わたしが意識したことは、父は魂で合図をしてくれるのかどうか。
結果。ちゃんと合図を送ってくれました。というか、送ってくれたと感じています。「あ、今、父ちゃんはここにいるのかも?」と思える出来事をいくつか体験しました。そして、リアルな夢を何度か見ました。
死後、父は、なかなか夢に現れてくれませんでした。
それで、夢に出てきてほしいと強く願うのを意識しないようにしたら、出てくれるようになりました。
父が倒れていた現場は道の下だったので、そこに誰かが花束をお供えしてくれていたのですが、近所の人が「(亡くなって)1週間経ったから、花を処分して、家に連れてきてあげないといけない」と母に言っていて、それが
潜在意識の中に残っていたのか、母が幽霊の父の手をひいて家に連れ帰り、
実家の玄関で対面したという夢を見ました。
親の最後を看取れるなら、手を握って感謝の気持ちを伝えたいと思っていて、現実でそれは叶うことはなかったけれど、夢の中で叶ったのです。
玄関で物言わぬ父の手を握り「今までありがとう」と伝えていました。
握った父の手は、幽霊なのに温かく、ゴツゴツざらざらしていて、
とてもリアルでした。夢を通してお別れに来てくれたのだと感じました。
それからの、夢の中の父は、だいたい幽霊という設定で、ものを言わなかったですが、初めて言葉を交わせたのは、亡くなってから、もう何ヶ月も過ぎてからでした。
結婚式場の控え室のようなところに、わたし、母、兄、知らない人たち数人が椅子に座っているところに、幽霊の父がやってきました。亡くなったときに身に着けていた服装で現れました。
向かい合い「久しぶりやね~」とわたし。「元気やったか?」と父。
お互い笑顔で再会を喜びあう。
ワクチンのことを訊ねてみたら「トラウマになっている」と答えていました。
母と兄に「ここにお父ちゃんが座っとるよ」とおしえたけれど、二人に父は見えない、という夢をみました。
その夢の父は元気そうだったので、全ての苦しみから解放されて、あの世で安らかでいるから心配するな、というメッセージを送ってくれたのかと妄想しました。父が亡くなる前後に身近な人々や近所の人たち、知人たち、沢山の人がバタバタと亡くなったので、みんなと会えて寂しくないのかもしれません(ただ、父の死に顔はとても、もの言いたげだったので、亡くなった当時は、突然の死を無念に思っているように感じましたが)。
この夢の場所が控え室だったのは、父と最後に会ったのが、姪の結婚式の時だったからなのかもしれません。
父の魂がここにいるのかも? と感じたのが、49日の法事を終えた数日後、
父の愛車を車屋さんが引き取りに来たときのことでした。
その前々日にわたしが車の写真を撮ったときには、異常はなかったのに、
駐車場から本道に出る手前にある数メートルの坂のところで、車が進まなくなりました。車屋さんが何度もふかして登ろうとしても、登れない。
で、わたしがタイヤを見たら、後ろタイヤがパンクしていたのです。
母が「持っていかれるのが嫌みたい」とつぶやきました。
その言葉に涙がぶわっとあふれました。
仕事ではなくプライベートで乗っていた車。20年以上乗っていたのに、きれいでした。一緒に旅をし、車の運転が向かなくて苦痛なので運転をやめたわたしと、母(ペーパードライバー)が買い物に行きたい時は、どこにでも父が連れていってくれました。
みんなの思い出の車。お葬式の時よりも、この場面が何よりも辛く悲しかったです。
突然パンクしたのは、母が言うように車を持っていかれたくない父の、必死の抵抗のように感じました。
地元のガソリンスタンドの方が、亡くなった数日後にお悔やみに来てくださったとき、「亡くなる前々日に(この)車のガソリンを入れにきてくれて、話をしたばかりだったから、信じられない…」、と話していたので、まだまだ乗る気でいた車とも突然別れなくてはいけなくて、あの世で無念な思いでいるのだろう、と思えました。
これ以外にも、ここにいるのかな、と思える出来事はいくつかありましたが、長くなるので割愛します。
父が亡くなってから1年半。最近は気配を感じることがなくなりました。
夢に現れる時も、霊という設定ではなく、生前の姿で出てくるように変化しました。なので、「あぁ、父ちゃん生きてたんだ!」って夢の中で嬉しくなるのだけれど、目が覚めて、「嗚呼、やっぱりもういない……」、と淋しくなりはしますが。
あの世とこの世は目に見えないだけで、隣り合っているのではないかとわたしは思っているので、そばにいて、見守っていてくれているはずです。
夢は、死んだ後、魂だけになった時の体験をしているという説があって(ヘビーな夢を見て起きた朝、体力を消耗し、ぐったりしているのはそのせいかも?)
体は眠っている状態だけど、魂は活動していて、この世にいる者とあの世の者の魂が交信できるから、リアルな夢を見るのかもしれないと妄想しております。
自分が向こう側の世に行ったら父に会えるかもしれないというのが、今のわたしの希望です。
棺に入れた手紙に「また会いましょう」と書きました。
毎日、父の遺影に向かって手を合わせる時も、また会おうね、と語りかけています。
亡くした人のことを思い出したり、語るのは辛いという人もいるでしょう。反対に、亡くなった人のことを沢山語りたいという人もいると思います。
わたしは、沢山語りたい。思い出を取り出したい。だからこうして、自分の想いをここに綴っています。
人は二度死ぬという。一度目は、肉体の消滅。二度目は、自分を憶えている人たちすべてがこの世を去ったとき。
だから、身近な者たちと亡き人のことを語り合ったり、思い出を取り出すことで、共に生きているんだという思いになれ、救われるから。