客観的に見ることの大切さを知った話
1年前から、歌を習いに行っている。
歌を歌っている動画を見ながら「こんなに歌が上手く歌えるようになったら楽しいだろうな〜」とふと思い立ったことがきっかけである。
歌唱能力はあれば素敵なことは間違いないが、事務仕事に就いている自分にとっては、当然仕事で使うようなスキルではない。おまけに私は人付き合いが活発な方ではないので、カラオケに行くようなこともほとんどなかった。今もない。身につけたところで、自己満足で終わるのは火を見るより明らかだ。
「私の世代で習い事に行くのであれば仕事で使えるスキルを習いに行くべきでは? 英会話とか」
と思い立った瞬間に常識人な部分の自分が囁いたが、私は勉強が嫌いであったし学生時代で一番苦手かつ嫌いな科目は英語だったので、その囁きは聞かなかったことにした。音楽も全然得意じゃなかったし歌も下手な方だったがそれはそれである。思い立ったが吉日精神のままにネットで近所のボイトレスクールを検索し、ここなら通えそうだな、と思った教室へその週末に体験レッスンを予約していた。
日頃の出不精が嘘のようなフットワークの軽さだったと今でも思う。
そして、体験レッスンをしたその日に入会した。
その3ヶ月後には行かなくなっていた。
言い訳すれば仕事が忙しくてとてもレッスンに行けるような状態ではなかったのだ。休日に起きたら夕方だったなんてザラだったので。
しかし2ヶ月ほど行かない日が続くと「流石に月謝がもったいないな」と思うようになった。教室を辞めるという選択肢もあったはずだが、その選択肢は全く検討せず、ちょうど繁忙期が過ぎたのと職場が異動になり業務量が減ったことをきっかけにもう一度きちんと通い始めることにした。
きちんと通い始めると、微々たるながらも成長が感じられる時がある。そして通う回数を重ねるごとにそういう瞬間は増えた。
そうなると思った以上に嬉しかった。歌うというのは色々な部分の体の動き(喉が顕著だがそれ以外にも色々な部位を動かしていることを習って初めて知った)に関係するので、上手く行くと思った通りに体が動いた、という感覚がある。それが、特に成長を特に実感させた。
あと普通に先生に褒められるのが嬉しかった。大人になると人から褒められることなんてそうそうないからね……ありがたいことだ……
1年も通えば、前は歌えなかった歌も前以上に上手く歌えている実感が出る。非常に嬉しかった。もちろん元が上手くないので今もそれなりなわけだが、しかし今なら人前でも自信を持って歌える程度には成長できているのでは……?
そんな気持ちのまま、より成長を実感するべく私は携帯の録音アプリを開いた。
自分の歌が、人からどう聞こえているんだろうと興味を持ったからだ。先生も褒めてくれるし、そこそこ上手くなっているはずと思いながら歌い、録音を聞き返す。
……
…………………
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いや、想像の50倍くらい下手!!!
こういうもののオチってまぁ下手なのが普通だと思う。
にしたって下手すぎる。思っていたより全然下手でびっくりした、普通に。
ショックでぼんやりしている私の頭にふと先生から掛けられたお褒めの言葉が蘇る。
この歌で「上手くなりましたね〜!」ってしみじみ言っていたけど、先生、私始めた時どれほど下手だったんですか??
聞き返したい気持ちになったしいまだに思っているけど流石に聞けていない。
先生が困るのも目に見えている質問をするほど神経は太くなかった。
いや客観的に見る(聞く)のって大事だな〜と痛感した。実際に上手くはなっているのだろうけれど、自分の感覚を信じてうっかり人前で披露したら微妙な空気になっていただろう。事故る前に知れたのは僥倖だ。
……ただ、このまま録音しながら練習してれば1年後にはかなり上手くなってそうだな〜といまだに考えている私はきっと懲りてない。
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