自分の人生は、誰かを輝かせるためのオマケなんじゃないかと思う夜
仕事の前日は、不安と不満で、よく眠れない。気持ちが高揚して、目が冴えて、気づいたら夜も更けている。
二度目のうつ病を再発し、公務員を辞めてからおよそ半年。
死を願うほど苦しかった私は、救いを求めて、あらゆる本を読んだ。
真っ当なビジネス書から、眉唾もののスピリチュアルまで、とにかくなんでも読み漁った。
その中には、宇宙について書かれていたものもあった。宇宙といっても、太陽があって木星があって…という天文学の話ではなく、人間はみんな宇宙で一つになるとか、そういう概念の本だ。
色々な考え方があるようだけど、
・宇宙には良いも悪いも、正解も不正解もない。
・人間を含めたすべての生き物は本質的にはひとつ。
というような概念が、おおよそベースにあるらしい。
そうか、みんなひとつか。両親も、職場の人も、すれ違っただけの名前も知らない人も、みんなひとつなのか。
どうやらそれぞれの個人が送った人生は、死んだ後になにか大きな源に還元され、宇宙を成長させるパワーになるらしい。
つまり、テレビでよく見る人気者の人生も、億万長者の人生も、私の人生もすべて、死んだら同じところに還って、宇宙の発展のタネになるらしい。へえ、そうなのかな?
こういう宇宙的スピリチュアル(と呼んでいる)の考え方が、仕事の前日に自己肯定感が下がりまくって弱っている夜に、むくむくと首をもたげてくる。
そして、一つの考えが頭に浮かぶ。
「なにも成し遂げられないまま死ぬ私の人生は、他の誰かの人生を輝かせるためのイベントなんじゃないか」と。
アニメや物語で、身近な人物の死が主人公を成長させるというのは、よくありすぎる展開だ。母親とか兄貴分とかは、主人公の成長に深みを増すために、シナリオ的によく殺される。
ふと、私もそういう舞台装置なんじゃないかと思える時がある。
主人公の過去編に出てくる、救えなかった村人A。兄貴分として主人公を支えていたのに、衝撃的な死に方をするキャラ。あるいは、見せしめ程度にあっさり殺されるモブ役?
ともかく、この世界の主人公は私ではなく、本当は別にいて。私はその人を輝かせるために生まれてきて、生きて、死ぬのではないかと。
そう思える夜。
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