悶え苦しむ活字中毒者の地獄の味噌蔵
とんでもないタイトルである。
椎名誠著、稀代のエッセイである。いや、エッセイというか妄想なのだけれど。
椎名誠というのはとんでもないおじさんで、本人も面白いけれど周りのおじさんもだいぶ面白い。民謡を即興で歌える弁護士、唯一無二の絵を描く登山家、そして問題の活字中毒者ーー目黒氏である。
この目黒氏、とにかく本を読む。本を読む間に本を読み、週に五冊は軽く読んでしまう(一日に何冊も読んでたりする。凄い)。そして書評がとんでもなく上手い。何か面白い本がないかと聞かれればその時の気温気候その他色々なものを加味してベストな一冊を紹介してくれる、という凄いヒトなのである。
で、シーナは考えたのであった。この、風呂に入っていても料理をしていてもいつでも何かしら読んでいるこの目黒氏をどこか密室にーーそう、田舎の味噌蔵なんかがいい。カビ臭くて暗くて何も読めない空間ーーに閉じ込めたらどうなるかと。
とんでもない妄想である。いやあこれ現代にして考えたらとんでもないことである。私なぞニコニコを断たれてしまったら毎晩眠れずTwitterでまんじりともせずぼやいているよりない。おおなんと恐ろしい。そのTwitterさえ禁じられてしまったらもう立つ瀬もない。このタイトルに引かれてこんな僻地に来たみなさんはわかっていただけると思うけれど、ネットを知る前には本を読んでいた。それまで封じられているからもう詰みである。
人間、無駄に高性能な脳があるばかりに時間の潰し方が豊富で、脳はそれらを欲し続ける。動物は食べ物を探すために一日のほとんどを費やす訳だけれど、人間はそうはいかない。パンとサーカスが必要なのである。サーカスがなくなるとまあ人間どこか悪くなっていくのは歴史に明らかだし、それは大衆だけの話ではなく、人間個人にも十分起こり得るのだ。
さて、そんな極限状態に置かれた目黒氏はどうなってしまうのか。いやしかし味噌蔵の中は暗いのだった。何も見えない。しかし喘ぐような、獣のような、微かな吐息は聞こえてくる。2階の明かり取りの窓からそれを感じたシーナは古新聞のカケラやチラシなんかをパラパラとおとしていくのだ落としていくのだった……。
と、いう一大妄想巨編は静かに幕を下ろすのだった。この終わりがなんとも哀愁があって良い。秋の終わりのような寂しさが大変に味わい深いのだった。
そして特筆すべきはこの挿し絵である。椎名誠氏の本は大体友人の沢野ひろし氏が挿し絵を描いている。そう唯一無二の画家である。この挿し絵がただならぬ迫力を呼んでいる。世代で才能の差異を語るべきではないが、この迫力は昭和でなければ出せない、並々ならぬパワーを持っている。是非ご覧いただきたい。