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「自分らしく生きるためのルーツをたどる①」

毎日バタバタの
アラフィフ専業主婦です。

夫と2人の子供のために、
日常のほとんどの時間を費やしています。

でも、このままでいいの?

このまま終わってなんかやるもんか!

と、心の声はいいます。

子供も成長してきて
少しずつ親から離れようとしている今、

妻であり母親である私は
それ以前にひとりの人間として

これから先の人生を

自分らしく生きていきたい!

そのために
過去にさかのぼって
自分を見つめ直してみようと思います。



「早く家を出たい!」

いつの頃からか、私の心には
早く家を出て都会に行きたい!

という思いが強くなっていた。



東北の田舎町で生まれ育った私は、

子供の頃から
明るく活発で、責任感が強く
しっかり者で、何でもそつなくこなし
クラスではリーダーによく選出され
大人からも信頼される

とても良い子だった。

良い子といっても
そんな優等生っぽい感じでもなく
親の言いなりになっている訳でもない。


おっちょこちょいで
オテンバ過ぎてケガもちょこちょこ(苦笑)
おしゃべりばかりで
先生にも叱られることもしばしばあった。

そんな10代前半の私は
人生最初のピークを迎えていた。

随分とピークが早い!(笑)

それぐらい

毎日一生懸命で
何事にも全力で取り組んで
自分でも頑張っていたし、
みんなにも信頼され、認めてくれていたという
思いがあった。

多少の気遣いや親との言い合いはあったにしろ、
自分のやりたいことを
今よりはずっとやれていた気がする。

とても充実していた子供時代。

いまも根っこの部分は変わっていない
と、自分では分かっている。



家を出たい!と強く思い始めたのは、
このピークが過ぎていった16才頃だった
と思う。

先の進路を考え始めたことと、
親からの無言のプレッシャーを
感じたからかもしれない。

この片田舎に留まっていられない!
という思いは日に日に強くなっていった。

なんとなくだけど、
小学生くらいから自分の居場所はここではない!
と感じていたのだと思う。



「スタートダッシュが良ければというが…」


中学生時代は絶好調!

中学1年の1学期の中間テスト、
人生初の定期テストで、学年3位になった私は

「えっ、大して勉強していないのに、この順位!?」

と驚き、拍子抜けしてしまった。
それがきっかけで
勉強はそんなに一生懸命にやらなくても出来る!
と、自分を過信していった。

確かにずっと成績は良かったが、
自分にとって良かったのか、悪かったのか…

さらには、成績が良いと
いろんな面で頼りにされるのが、内心嬉しかった。

もともと人前で話すのが嫌いではないので、
クラス委員や生徒会役員をしたり、
「長」のつく立場ではなくても、
そのちょっと下のポジションにいつも付いていた。

その方がのびのびと発言や行動が出来る。

いま思えば、自分の力が十分に発揮できる場所を
感覚で分かっていたのかもしれない。

推薦されたり、お願いされたら断れない、
断る理由もない、
お役に立てるならやりましょう!
と、快く引き受けるタイプだった。


そして
私をパワーアップさせた一番の出来事は、
吹奏楽部の部長になったことだった。

もともとピアノを習ってはいたが、
中1の時はバレーボール部に入部しようと
既に練習にも出ていた。

しかし入部直前
友人からどうしても部員が少ないから
吹奏楽部に入ってくれないか、と頼まれ
あっさりとバレーボール部を諦め
吹奏楽部へ入部してしまったのだ。

頼まれると断れない。(苦笑)

約30年後、
私の人生、2度目のピークが来るのだが
やはり同じような立場になって
自分がドンドン前向きに行動することにつながっていく。



さて、その後の中学生活は
吹奏楽に本気になり
部長になった年の地区大会では、
とある高校の演奏を聴いて感動し、
この高校に入りたい!と決意することになる。

その高校に入ることが
必然だったのか、それとも運命だったのか…


スタートダッシュが良ければというが、
結局私は、自分を過信したまま、ろくに勉強もせず、高校を受験することとなった。

結果はなんとか合格。

憧れの吹奏楽部のある高校は、歴史ある地域一の進学校。当時は、県下でも有数の進学校で、
国公立大学に進学するのが当たり前だった。

15才。
嬉しい気持ちと、どこかモヤモヤした気持ちを
抱えたままの高校3年間がスタートした。

今までと状況は打って変わった。
中学のように、ほとんど勉強もしないで
成績を維持できていた時期は終わった。

あとから母親に聞いて知ったのだが、
なんと!「ビリ」での入学だったらしい!
衝撃!
でもそんなにショックではなかった。
入ったモン勝ち!

とにかく這い上がるしかなかったのだが、
その状況下でも、3年間本気で勉強したとは思えない。

成績は中の下くらいまでにはなったと思うが
勉強に関してはモヤがかかったように
あまり思い出せない。

成績が負い目となり、
中学のようにクラスメートを引っ張っていく存在にはなれなかった。
私のピークは終わったのだ。

本来の自分はどこに行ってしまったのか、
肩身の狭い思いを感じていた。

この思いは
大人になったいまでもどこかに残っていて、
時折私を苦しめる。

そんな中、
私を必要としてくれた場が2つあった。

1つは、校内で毎年行われていた合唱コンクールだ。
学年の枠を越えて、1年から3年の全18クラスで争う。

ピアノが弾けて
吹奏楽部だった私の本領発揮の場である。

各パート練習の指導や、ソロを歌う時は買って出た。これだけは普段の成績は関係ない。

高1では学年トップの全体3位。高3では優勝した。

クラス一丸となっての合唱は、喜びも格別だった。自分がその役に立てたことも嬉しかった。

もう1つは
中学から続けてきた吹奏楽である。

憧れていた高校の吹奏楽部。
実力も地域一だったため
希望の楽器もオーデイションで決まる。

大会にもほとんど出場していない
弱小吹奏楽部出身だったことで、すっかり萎縮し、自分がやっていたユーフォニアムという楽器は
ライバルには勝てないと、あきらめてしまった。

その時、友人からの情報で
誰も候補者のいない楽器があることを知った。
「ダブルリード」という種類で
「オーボエ」と「ファゴット」という特殊な木管楽器だ。

情報を教えてくれた友人と二人で、このダブルリードをやろう!
と決心して、オーディションに臨んだ。

オーディションで希望楽器を告げた時の
周囲の「おお〜!」という感嘆の声は
いまでも覚えている。

これが私の「ファゴット」との出会いになる。

就職を機にやめてしまうのだが、
この後、大学時代を含めて7年間、
私はこの楽器を吹き続けるまでになる。
演奏することはなくなったが、
いまでも大事にしている私の宝物だ。

そして、何を隠そう、
その時の吹奏楽部の同期に、
私の未来の夫となる人物がいたのである。



勉強に本気を出せなった状態で臨んだ大学受験は
当然うまくいくはずもなく、浪人の道へ。

父親は、ICUに行って欲しかったらしく、
私も憧れはしたが、到底届くはずもない。
周りは、国立大学に合格しているのに…
と比較して自信をなくしていた。


とにかく、一刻も早くこの窮屈な田舎から出たい!
親元を離れて生活したい!

という強い思いで、
自分一人で東京の予備校を決め、親の承諾を得て
予備校の寮に入ることにした。

不安はなかった。
ここから新しい生活が待っているんだ!
きっと居場所が見つかる。
気持ちはすこぶる前向きだった。

頑張れる!
と心底思えた。

未来は希望に満ちている✨

きっと私の進むべき道にたどり着くに違いない。

大丈夫! 私ならやれる!
自分を信じて進んでいこう!

思いを後押ししてくれたのは
そんな晴れやかな日差しだった。

〜②へ つづく〜

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