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22歳の大学生がアルゼンチンを1人旅したら②

*昨日の旅行記の続きです。

ところでみなさん、『アルゼンチンの食』についてご存知だろうか?
基本的にはスペインの植民地時代の影響でパンやピザ、パスタ、ワインなどヨーロッパの主食に近い料理がメインだ。しかし、アルゼンチンには伝統的な食べ物が沢山あり、日本人がお米を食べるように『お肉』をとにかく食べる。逆にお米はパッサパサパサのチッリチリなテイストで食卓やレストランではほとんど見かけなかった。

特にアルゼンチンでは牛肉が人気で、『世界で 1 番肉を食べる国はアルゼンチン』と謳われるほどで、『アサード』と呼ばれる伝統的な牛肉料理は巨大なブロック肉を火が弱まった熾火(おきび)で燻(いぶ)すようにじっくりと時間をかけて焼き上げる。クリスマスや誕生日などの特別なイベントの際に家族や親戚と食べるのが基本のスタイルだそうだ。

レストランのアサード

また、『ドゥルセ・デ・レチェ』という砂糖を入れた牛乳をゆっくり加熱して作るあま〜いキャラメルのような伝統料理は『フラン』というプリンに似たデザートによく合った。(幸せってこのことなんだなぁ)と思わず感激してしまうほど、アサ ードの後に食べるドゥルセ・デ・レチェは格別だったのを今でも思い出す。

他にもエンパナーダやミラネッサ、アルファホルといった絶品の食べ物があり、このような伝統的な味が上品にお腹を満たしてくれて旅の活力になったことは言うまでもない。

ピザ屋のドゥルセ・デ・レチェのフラン

ブエノスアイレスで観光や食事を楽しみ2週間ほど経過した後、黄熱病を持った蚊に怯えながらブラジルとの国境に位置する『イグアスの滝』やマイナス 5°Cの中、凍え死にながらも世界で最も南極に近い町『ウシュアイア』などの様々な場所でいろいろな人々に出会うことができたのは嬉しかった。

アルゼンチンは南北に長いため気候も様々で、北部は暑く、南部は寒い。南米における歴代最高気温と歴代最低気温がアルゼンチンで観測されていると聞いたが、それは本当だろう。

さて、この旅の中で最も思い出に残る出来事がある。俺が22年間生きてきた中で間違いなく濃密な2日間であった。それは旅を始めてひと月が経った 2023年10月3日のことだった。
アルゼンチン南部に位置する『エルチャルテン』 という小さな町には、有名なアウトドアブランド『パタゴニア』のロゴモデルとなった
「フィッツロイ」という山がある。早朝の朝日に照らされて赤く輝く燃えるフィッツロイの姿を一目みようと、多くの旅行者が集まってくるところである。

真ん中に見えるフィッツロイ

俺は前日に山に登りキャンプをしてその絶景を見ることにした。夕方の6時頃、太陽が沈みかける中、片道6時間かけて人生初の登山を決行し、マイナス3°Cの山中にテントを張ってキャンプをしたのだ。パタゴニアの風が強く吹き、雪も残るなかキャンプをやろうとする奴なんて俺以外誰もいなく、すれ違うのは下山客ばかりだった。

大事件は次の日の朝起こった、俺は足を滑らせ滑落したのだ。幸い大きなけがはなく、近くにいたアルゼンチン人に助けられ、介護されながら 6 時間かけて下山した。途中、水がなくなり、脱水状態になりながらようやく登山口までたどり着くことができホッとした。

しかし、そこからがまた大変だった。一番近い病院までバスで6時間かかるというのだ。とにかく我慢してバスに揺られて行くことにした。滑落しただけでも大変なのに、今度は、バスの中でコカインが見つかる事件が起こったのだ。途中のある町にバスが止まった時、警察と麻薬探知犬が乗り込んできた。その探知犬が私の近くに座っていた乗客の荷物に反応したのだ。そこで大騒ぎになり、バスの出発がさらに遅れてしまったのだ。それから何時間バスに揺られていただろう。やっとバスは病院のある町に到着し、急いで病院に向かった。

言葉がわからない中で診察を受けると、なんと数分で診察が終わってしまったではないか。もう少し丁寧に診察してほしかったのに拍子抜けしてしまった。

滑落後、助けてくれたアルゼンチン2人

思い起こせば、「Chino~」とか「今出発してもキャンプ場に着く頃には真っ暗だよ。やめときな」なんて馬鹿にされながらも、そのまま進んでフィッツロイで人生初のキャンプをやって、その次の日滑落して、痛みをこらえて長い時間バスに揺られ、途中で麻薬事件に巻き込まれながらアルゼンチンの病院行ったこの経験は忘れることはないであろう。結果的に滑落して、燃えるフィッツロイは見ることが出来なかったけれど、その過程の自分の気持ちの変化が自分を成長させてくれたのは確かだと思う。

10月3日、『PATAGONIA HIKES』と呼ばれるキャンピングショップで「冬明けにキャンプ用具を借りに来たのはお前が初めてだよ!」って店員に興奮気味に言われたときは正直怖くなってやっぱりキャンプなんてやめておこうと思った。なぜならテントの建て方さえも知らなかったし、誰もやっていないから怖くなったという気がする。でも、その時の自分は、怖さよりも自分を変えたい、今までとは違う自分になりたいと言う気持ちが強かった。それは日本から1番遠いアルゼンチンに1人で来て、旅をしながらこれまで大嫌いだった自分や無責任だった自分を変えたかった。

小学生の時サッカーを習いたかったが、母親から「サッカー選手になんかなれない」って言われて諦めた不甲斐ない自分がいた。できないことやあきらめたことを母親の言動のせいにしてしまっていた自分が大嫌いだった。英語や地理が好きだったけど、「就職に有利だから」という先生の言葉や仲良い友達が理系にいくからと、理系にいった。そんな優柔不断な決断も全て、人のせいにする自分自身が大嫌いだった。いつもそんな自分を変えたかった。

だから、みんながやっていることや違うことがしてみたくなって、怖くてもリスクがあっても、人と違う道を行くことになっても、それは自分で決めた道だから人のせいにはできない。この登山で、自分で決めた道や夢を諦めない人生を送れればそれはそれでいいと思ったからだった。

あの濃密に濃かった2日間。日本に帰った今でも、落ち込みそうになった時や人の目線が気になった時は「俺なら余裕だよ。お前以上にあの経験した人間は日本、いや世界を見てもそういないんだ!」と自分に言い聞かせ常に支えにしている。昔、読んだ本に『人間が変われるのは、行動して経験を得た時だけ』とあったことを体感した出来事だった。

人は経験した時にだけ変化し、成長できるのであれば、人生夢を捨てずに行動したもの勝ちだと思う。何者でもない自分が何者かに変われるのは行動し、経験した時のみだと言うことを 2023年10月3日から体現していこうと思うようになった自分がここにいる。

最後まで読んでいただきありがとうございました。2024年3月大学を卒業した後、ユーラシア大陸をヒッチハイクしながら、世界のサッカーの様子をみんなに映像で届けるつもりです。今回の旅の体験を大切に頑張ります!


病院へのバスの中から見た夕日

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