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母の匂い

ジリジリと皮膚が焼かれる9月に、母の匂いを思い出した。
それは化粧品の匂いだったのだと今はわかるが、ふんわりと花のような香りの粉っぽいそれは、やっぱり「母の」匂いなのであった。




ホールケーキ


我が家は事あるごとにホールケーキでお祝いする家庭だった。
父の稼ぎにあやかって、父もまた家族からの信頼を金で解決し、家族みんながケーキを食べられる日が誕生日以外にも多々あった。

普段の家庭内事情はというと、9時過ぎ自室で寝ようとウトウトしていると、リビングから父の「〜〜じゃないの???」と言う声と共に、母の「だから言ってんじゃん!!!」という必死な声が聞こえてきて、それをBGMにして眠るという、子供にとってはまあまあ毒な夫婦関係であった。
仕事の忙しい父は0時を過ぎて帰宅する日も多かったが、母は必ず起きていた。
料理が温かい状態で準備されていなかった時に、父の癇癪がひどかったことを忘れていなかったからである。

夫が妻に対して「何故できていなかったんだ!!」と怒鳴るのは、今ではもう時代遅れなのだろうか。

母は母で負けておらず、母の機嫌によって父や私に当たる日も多かった。
「どうせ母さんのせいなんでしょ?母さんが悪いんだよね?母さん母さん母さん母さんばっかり言って、こっちもおかしくなりそうだよ!!!」と叫び散らし、言葉にし切れなくなった時には、最初から同じ言葉を繰り返して、とにかく子供のように癇癪を起こすのであった。

基本的に無関心な父と、被害妄想のひどい母の組み合わせは、子供心になぜ結婚したのか疑問であったが、それでも周囲の大人からはおしどり夫婦と呼ばれていた。

そのような我が家で、ケーキのある日だけはみんなが笑顔でいる日だった。
最初のうちはテストで100点を取った日や、進級した日などにケーキが登場したが、100点の回数があまりに増えると条件は変わり、習い事で親の設定する目標を達成する日や親の気分によって何もなくても突然祝われる日もあった。

当時私は小学生であったが、そのホールケーキが特別なものではなく、歪なものに見えてくるまでにそう時間はかからなかった。

9月は夏休みが終わって学校が始まる頃。
ぼんやりした頭を起こすためなのか、何なのか小テストが多い。
赤文字で100点と書かれた小テストを10枚ほど母に渡したら、ホールケーキがやってきた。

なんの意味もないけれど、ホールケーキを買えば付いてくるロウソクを刺し、チャッカマンで火をつける。
歪だなと思いながらもパティシエの技術はすごいもので、どのケーキもいつも造形が美しい。

その時私と一緒にケーキを覗き込む母からは、やっぱり母の匂いがした。

切り分けて食べる時には、父に一番大きいサイズを、次に私、最後に母が自分の分をとり、包丁についた生クリームを直で舌で舐めとった。
まるで山姥だな。
絵本で読んで知った妖怪の形相を思い出し、母に対して若干の罪悪感を抱きながら、三角形になったケーキの頂点をフォークで削って食べ始めるのが、私の決まった思考回路になっていた。

食べ終わった頃にまだ口寂しくて、もう一つを食べていいか母に確認しなければならない。
確認すれば母は喜んで返事して、先ほどの包丁で残りのケーキを私のお皿によそってくれる。
最後のケーキはどうしても母の香りがする味になっていた。


お風呂上がり

また、我が家は9月頃になると、お風呂にお湯を沸かして、湯船に浸かるようにしていた。6〜8月あたりは暑さ故にシャワーで済ませるのだが、9月になると夜が涼しいのと、夏に溜まっただるさを解消するためにお風呂はしっかり浸かるように言われていた。

お風呂上がった母(ここでも一番最後)は、テレビをつけて洗濯物を畳む。
まだ20時ほどで寝るには早いから、私も起きていて、しかしそうすると明日の学校がすごく憂鬱になってくる。
ただでさえ毎日憂鬱なのだが、やはり意識し出してしまうと、再び頭の隅に追いやるのも難しい。
その頃の私の悩みとしては、定期的にターゲットの変わるいじめ、その時は無視よりも物を投げられたり殴られたり、ランドセルをサンドバックにされるといった類だったが、その被害者に回ってくることがとても恐ろしかった。
誰かに手をあげて加担する姿勢を見せておかなければ、自分もすぐやられる側になるので、喜んで誰かのことを殴っていたが、やはり毎日同じ流れをすると飽きてくるし、いつ自分になるかわからない恐怖は付き纏ってくる。
そんなことを母には言いづらいものの、どうしても聞いて欲しくて、「母さんは、味方?」とわざわざ聞いて切り出した。
「どうして?」と母は質問で返してくるので、自分が加害者であることはやんわり濁しながらモニョモニョと学校のことを話す。
「そうなんだねぇ…」と言いながら母が話し始めたと思うと、「私が子供の時は」という始まりから、終わりの見えない話になってきてしまった。
あんなに辛くて、こんなにしんどくて、今思い出しても辛くて、それでそれでと色んなことを話してくれるのはいいのだが、耐えかねた私が「でも、私は…」と話しかけると、「でも、そうだったの。」ともはや聞く姿勢は皆無になっていた。
それでも続いていく話のせいで、話を切り出すのも立ち去ることでさえタイミングを逃してしまい、あとは右から左に話を受け流すしかなくなってくる。
睡眠導入BGMになり始めた頃、母も話し尽くしたようで、「もう寝な?」と促してくれた。
畳み終わった洗濯物を渡されて、自分の部屋に戻る時、母の匂いがあった。
もう少し私の話を聞いてくれても良かったのにと思いつつも、母が馬鹿であることによって救われる私の体裁もあったりして複雑な気分のまま眠気は襲ってきていた。
階段を上がって部屋に入ると、一番上に置かれた使い始めの子供用ブラジャーに顔を埋めて、少し泣いた。







大した出来事ではないし、記憶のかけらでしかないのだが、匂いというものは恐ろしくて、ひどく鮮明に記憶とリンクしている。
10月もまた別の何かを思い出しては、少々苦い気持ちになるのかもしれない。

母の匂いは好きだが、それはそう認識しておかないと物事の辻褄が合わなくなるからであって、きっと私の本能で得た感覚とは異なる。
匂いは確かに感覚器官で捉えたもので、それにリンクする感覚もまた精神性のあるところで捉えたものだとは思う。
辻褄を合わせるために改竄された認識によって再確認されていくたびに、私自身もホールケーキになっていくように思えて震える。

近くにはいないはずなのに、確かに今認識している母の匂いはもしかすると、自分の匂いなのかもしれないし。

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