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3日目のカレー(日常にある寂しさの話)

3日目のカレーは食べられるだろうか。

状況を整理しよう。

冷蔵庫に入れていたならまだしも、2日目のカレーという勢いでガスコンロの上に鍋を置いたままにしていたカレーを食べるか否かで悩んでいる。

今は11月。夏の暑さが残るような季節ではなかったが、ここ数日私は半袖で過ごしていた。
とすると、やはり捨てた方が賢明な判断かもしれない。
しかし、『勿体無い』と私の精神が必死に引きとめてくる。

そもそも3日前の私はなぜこんなに大量に作ってしまったのだろうか。人参は、八百屋で安くなっていた規格外の大きさのものを2本いれた。ジャガイモは普通サイズであったが、人参との割合をみて3個いれた。玉ねぎは大玉をなんとなく1つにしておいた。肉を入れない代わりにしめじを一袋…。

それらを一人暮らしの私が持っている最大の調理器具であるフライパンで炒めて、やっと嵩が収まってきたところで煮込んだ。

まぁ、作り方は今の問題ではない。問題は無計画な量、無計画な保存方法、そして2日目時点で対処しなかった私のズボラさである。
 


3日目になって言い訳をするのもどうかとは思うが聞いてほしい。3日前に調理をした私は、カクカクシカジカあって新しい職場に初出勤をして9時間動き続けた後で、とてもお腹を空かせていたのである。
もう一つ、私は名義上一人暮らしであるが、大食漢の居候がいた。その男が2週間前に事故に遭ってから入院してしまっていた。日常的に4人前ほど(私も日頃から多く食べる方なので2人で簡単に完食する量である)を作っていて、さらにその日はいつも以上に空腹を感じていたから、当たり前のように多く作ったことは致し方ない結果だと思う。

そういえば、私は昔からそうだった。「そう」というのは、一言で表せば「ネジが外れている」といった感じだろうか。「詰めが甘い」ともよく注意されてきた。わかっているし気をつけているのだけれど、成果物はよくても過程と後処理が上手くできない。

出来上がったカレーは美味しいが、結局残念なことになってしまったのもまたその例である。

なんでも吸収してすぐに取り掛かれる素直さが(多分)取り柄だから「落第」とまではされないのが、優等生にはいつも成れない。良かれと思って電車で席を譲ったら、「年寄り扱いするな」と怒られたこともしばしばある。


昔のことを思い出しても仕方がないから、このカレーをどうするか決めよう。

残量は冷凍ご飯の量とも合わせて見て、確実に2人前以上はある。もともと沢山食べられる私なら量としてはそんなに苦でもないのだが、今回の場合お腹を壊さないかは心配である。ご飯をかなり少なめにすれば、万が一上下から排泄されても罪悪感は少ない気がする。

よく考えたら自分の体調なんて優先順位を下げていい。もともとネジをどこかで落としてしまって、不良品になっていることだし。

そんな会話を、自分なのか目に見えない妖精さんなのかわからない何かと、しっかり声を出して会話をしながら残りの全てをお皿によそった。

調理器具からそのまま食べると幸福感が下がって、お腹が痛くなくても気持ちの問題で嘔吐することが度々あったので、丁寧に食べることは心がける。

「いただきます。」

『美味しい。天才。』大食漢の居候がいつも言ってくれていたことを自分で自分に言う。

でも1人で食べるカレーはいつもより味がぼけている。人参は硬いのに、ジャガイモはもはや形が残っていない。

その人がいたから私のカレーは100点になったんだと改めて思う。

どんなに中身が同じでも、感じ方の違いで本当に美味しくない。
忘れていたが、季節外れの暖かさが続く3日間台所に放置されていたカレーである。初日は美味しかったから、2日目は手をつけていないけど、とりあえず3日で割って30点くらいの出来ばえにはなったことにしておこう。そうだ30点取れたのだ。
お腹も満たされた。
使い方が適切かどうかは置いておいて、足るを知ることは大切である。
胃の調子はまた明日考えよう。

あ!そういえば、食べ物を大切にできたことに関しては100点ではないか!あ、いや計画性の無さが減点されると70点くらいかな…。
そうだとしても足せば100点だから優秀だ。

ベランダに洗濯物を干しながら、シンとした外の空気を浴びる。知っている星座を探して、月の居場所も探したが後ろまで見ても見つからなかった。
新月になる日ではなかったと思っていたけど、今日はない日なのかな…。
まぁいいや、今日100点を取れた私は、かなり苦しくなったお腹をさすりながら窓を閉め、電気を消した。

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